2012年2月5日(日)に開催した「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」のシンポジウム「理想の社会を求めて」レポート。
最終回では、これまで語られてきた、ユートピアとアーティストの関係を踏まえ、イ・ブル作品への分析を伺えました。
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡邉修
最後にイ・ブルについて少しお話いたします。彼女はブルーノ・タウトやウラジーミル・タトリンといった初期モダニストの建築様式のユートピアニズムに関心を持っていますが、同時に彼女の作品は時として政治批判を巧妙かつ間接的に表現していますから、私がかいつまんで申しあげた第1と第3のカテゴリーに適合すると考えます。この政治批判の点に関しては、特に《天と地》が当てはまります。この作品は、片岡真実さんが前に言及されたのを聞きましたが、失敗したユートピア・プロジェクト特有の強制的な行為、例えば人を尋問するために浴槽を使って水責めにするような行為のことをそれとなく引き合いに出しています。同じようにサイボーグも、私たちがテクノロジーの恩恵を盲目的に有難いと思い、それらが持つ複雑な補強的役割を信じ、従来の性別がないことをいいと信じていることを遠回しに批判していると考えられます。だからといって、イ・ブルのように複雑なアーティストや今日私が取りあげたアーティストたちが、私が申しあげたような理由でユートピアンだと一方的に断定しないでください。また前言をかえすわけではありませんが、イ・ブルの作品がとりわけ政治的主題に焦点を当てているわけではありません。
ブルーノ・タウト
星の聖堂
1919
ウラジーミル・タトリン
《第三インターナショナル記念塔》計画案
1919
シンポジウム風景
撮影:御厨慎一郎
それでもなお、彼女の作品は重要な奥深い意味においてユートピア的であると思います。私は昨晩彼女がアーティスト・トークの中で言ったあることに心を打たれました。彼女は20代の頃に、この世界で作品を制作するには何か違う方法を見つけなければならないという危機感を持ったことを話しました。アートを通して世界を変えたいと望んでいたのにそれは出来ないことを悟った、少なくとも彼女が考えていた方法では出来ないと悟った時に危機感に襲われたのだと私は解釈しました。人は自分のアートや作品を通して事態を変えたいという願望を自覚しますが、事態はどうにも変わりたがらないし、変えさせようともしないのです。この自覚こそがユートピアン・プロジェクトの核心にあると思います。ユートピアは、私たちが本来もっている矛盾、すなわち改善したい、完璧にしたいという願望と、それを達成しようとしても必ず失敗するという矛盾に反応するのです。アーティストとしてのイ・ブルの作品、特に森美術館で行われている回顧展の後半にある作品は、この矛盾を繰り返し表現しています。
《ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ)》2007年
所蔵:ギャルリー・タデウス・ロパック、ザルツブルグ/パリ
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡邉修
《ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ)》や《私の大きな物語》のような作品には、初期モダニストのユートピアへの衝動を称える華麗さと快活さがあります。前者の作品は特にそう言えます。クリスタルの山を作り、アルプス山脈を横断する環状のクリスタルガラスを組み立てるタウトのアイディアは素晴らしいと思います。そこには狂気ともいえる無意味さが感じられ、それが作品を素晴らしいものにしています。イ・ブルの作品はその驚嘆を表現し、驚くべき形で賛美していると思います。しかし、《天と地》や恐らく《無題(インフィニティ・ウォール)》、そして《バンカー》などの作品には、ユートピアへの衝動の暗い次元空間が前面に出ていると思います。特に《天と地》はそう言えます。ユートピア・プロジェクトが恐ろしく間違った方向へ行く可能性もあることを心に留めておくべきでしょう。
ブルーノ・タウト
クリスタルの山
1919
最後に少々挑発的なことを申しあげて終わりにしたいと思います。イ・ブルは、一般に考えられているようにユートピアを例外的な状態と捉えていないと思うのです。彼女はユートピアが私たちの世界の外にある根本的に別なものとは考えず、むしろこの世界にも構築され、私たちの生き方の中心になり得ると考えているのです。
<関連リンク>
・ユートピアを求めるアーティストたち
第1回 なぜ「ユートピア」に惹かれ、「ユートピア」を目指すのか
第2回 ユートピア作品は社会の欠陥を写す鏡
第3回 4つのユートピア戦略と多様なユートピアンアーティスト
第4回 イ・ブルの批評的なユートピア作品
・「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会期:2012年2月4日(土)~5月27日(日)
・設営風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)
・「イ・ブル展」アーティストトーク2012/2/4(flickr)
・展示風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)
・「イ・ブル展」はこうしてつくられた!
普段見られない舞台裏に潜入したフォトレポートをご紹介します。(Blog)
・松井冬子×片岡真実 「イ・ブル展」MAMCナイト対談ギャラリートーク
第1回 松井冬子さんとイ・ブルの共通点、作品に込められた「不安・恐怖・痛み」
第2回 彫刻家と画家の違い、〜制作のスタンス・大事にする感覚・進め方
第3回 松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
第4回 説明無しでも強烈なエネルギーを発する作品
第5回 社会に対するパンクな精神に共感する