2012年3月6日(火)に開催したメンバーズイベント「MAMCナイト」では、画家の松井冬子さんをゲストに迎えました。イ・ブルと松井冬子さんの、彫刻家と画家というジャンルの違いを超えて共通する世界観が、本展キュレーター片岡との対談を通じて浮き彫りになっていきました。その模様を5回にわたってお届けします。第1回は作品に表現される「不安や怖れ」について展示を見ながらの対談をお楽しみください。
MAMCナイト会場風景
左:片岡真実(森美術館チーフ・キュレーター) 右:松井冬子さん(画家)
撮影:御厨慎一郎
片岡:韓国のイ・ブルという女性の20年間を総覧してみて、彼女は社会のなかで共有された不安や不条理、受け入れがたい何ものかなど、形のないさまざまな抽象的な感情や状況に形を与えてきた彫刻家なのだと改めて思いました。この、形のないものをどうやって視覚化するのかという問いは、松井さんの実践とも関連があるのではと思って今日はおいでいただきました。お二人の世界観から何が見えてくるのか、楽しみにしています。
松井:ぶっつけ本番ということで、大変緊張しています。
私は絵画のほうは、まあ何となく見えてくることもありますが、彫刻となるとジャンルが若干違ってくるので、難しい部分がたくさんあって、どこに焦点を持っていこうかなと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
片岡:それでは、【つかの間の存在】セクションにご案内します。
最初の部屋にある一番目の作品が、今回の展示のなかでは最初期のものです。美大で彫刻を専攻した彼女が1980年代末に始めたパフォーマンスのひとつで、展示されているのはそのときのソフトスカルプチャー(再制作)です。日韓交流のパフォーマンス・フェスティバルで、これらを身にまとい、都市への介入を試みました。
90年代は、韓国が80年代までの軍事独裁政権から徐々に民主化への道をたどった時代ですが、特に彼女が大学を卒業した1987年は、韓国が翌年のソウルオリンピックを踏まえて「民主化宣言」をした年です。これまで閉塞的だった社会が、この先はどんな社会になっていくのだろうか、その先もまた見えない、大きな不安や怖れのようなもの、得体の知れない何物かをこういったモンスターのような形にして、自分の身にまとって街、つまり社会の中に出て行くという行動をとった記録です。
《受難への遺憾―私はピクニックをしている子犬だと思う?》
1990年
オリジナル・パフォーマンスからの静止画
Courtesy:Studio Lee Bul
松井:「怖れを身にまとう」という発言が出たのですが、どういうことだろう? と思いました。「怖れを身にまとう」、それはみずから?
片岡:不安や怖れなどの感情、もしくは得体の知れない何物かに、形を与えています。そして、ギャラリーの中ではなく、身にまとって実際に社会の中に出て行くことは、社会の中で共有されている不安感を空間の中で視覚化をしたように見受けられるのです。
松井:街の中で、こういうものがうごめいていたら、確かに不安の視覚化としては強烈な印象があるというか、直接伝わりやすい表現ですね。
片岡:松井さんの作品の中にも、恐怖とか痛みのようなものや、形のないものがさまざまな形で描かれていますが、共感するところはありますか?
松井:人ごみの中にうごめくもので、見たことのないものが少しでもでもいると、人は驚いてそっちの方を向きます。そういう人間が持っている視覚から得られる情報の、うまい使い方をしているのではないでしょうか。わざと人ごみに入っていく行為はとても効果的だと思いますし、周りに人があってのパフォーマンスだと思います。
片岡:自分のなかのとても私的な思いを形にしていますが、その感覚をいかに不特定多数の人たちと共有するかという課題は、彼女の仕事の底辺でずっと続いていきます。
「どのように共有できるのか」という欲望も、私は松井さんの作品や展覧会を拝見して、繋がっているところがあるのかなと思ったところですがいかがでしょうか?
松井:みんなが共通で持っている不気味なものという感覚を具現化している。形や色などにうまくあらわれていて、しかも動く。良い表現方法です。
MAMCナイト会場風景
撮影:御厨慎一郎
片岡:《壮麗な輝き》は、生の魚にビーズや造花など人工的な装飾物を施し、ビニール袋に入れて展示した作品です。魚はだんだん腐敗していきますから、崩壊に向かう有機物と、残る人工的な美しさ、「生と死」、「美と醜」を対照化させるような意味合いがあります。ご想像のとおり激しい悪臭を発したため、97年のニューヨーク近代美術館での展示ではオープンから数日後に撤去されることになりましたが、ヨーロッパから訪米していたハラルド・ゼーマンの目にとまり、国際展への招待や受賞に繋がります。彼女自身のターニングポイントになった作品の1つです。そういえば松井さんの作品にも、敢えて腐らせた菊の花などのモチーフがありますよね。
《壮麗な輝き》
1997年
オリジナル・インスタレーションからの静止画
Courtesy:Studio Lee Bul
Photo:Robert Puglisi.
松井:その異臭騒ぎは確信的だったのではないでしょうか。正しい展示方法だという感じがしています。美術や芸術に関して、「視覚と聴覚であるもの以外は、芸術とはあまり呼べない」という考え方が私の中にはずっとあって、舌や、鼻で感じるものというのは物質的なものを体に取り込んでいるから、純粋に芸術だと感じることができない。一方で理性的に感じることができないであろう視覚と聴覚が純粋的な芸術として見られるものだろうという考え方があります。
片岡:なるほど。
松井:死体を「危険なもの」と感じると思うのですが、やはり凄い異臭が放たれていると、体が「危険だ」って思うわけです。そういう意味で生と死を実感する、とてもいい展示方法だったのではないでしょうか。
ダミアン・ハーストが牛の頭を血まみれで展示したことはありますが、特に異臭とかではなかったですよね。ハエは発生していたと思いますが。
<関連リンク>
・松井冬子×片岡真実 「イ・ブル展」MAMCナイト対談ギャラリートーク
第1回 松井冬子さんとイ・ブルの共通点、作品に込められた「不安・恐怖・痛み」
第2回 彫刻家と画家の違い、〜制作のスタンス・大事にする感覚・進め方
第3回 松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
第4回 説明無しでも強烈なエネルギーを発する作品
第5回 社会に対するパンクな精神に共感する
・「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会期:2012年2月4日(土)〜5月27日(日)
・設営風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)
・「イ・ブル展」アーティストトーク2012/2/4(flickr)
・展示風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)
・「イ・ブル展」はこうしてつくられた!
普段見られない舞台裏に潜入したフォトレポートをご紹介します。(Blog)
・MAMCメンバーシップ
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