前回より連載中の「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」のシンポジウム「理想の社会を求めて」レポート。第2話では、ユートピアを作品化するアーティストと、その背景にある「社会」についての話が語られました。
シンポジウム風景 リチャード・ノーブル氏
撮影:御厨慎一郎
ではこれまでに述べたことの何が現代アートと関連しているのでしょうか、具体的にはイ・ブルの作品とどのように関わっているのでしょうか。その答えの1つは、アーティストたちがユートピア戦略を行うことによって自分たちが生きている世界、特に経済的・政治的現状に対応できるということ。退屈するほど教訓的な手法を使わなくても、あるいは改革運動やプロパガンダを用いなくてもこの世界に反応することができるということです。ユートピア戦略を通して、アーティストたちは面白く芸術的な方法で自分たちが暮らしている社会生活を批評できるのです。私が言いたいのは、いわば正式なアート的戦略としてのユートピア形成をすることにより、アーティストは政治的課題を考察し、それに関与することができるのです。政治的プロパガンダを唱えたり政治活動家となったり、駄目な社会学者や政治学者のように行動するわけではありません。この点においてユートピア戦略は、アーティストが社会状況に対応するために行うその他の方法と明確に異なっています。例えば現在アーティストが取り組む不正や汚職などの暴露のような政治活動、ドキュメンタリーや様々な研究に基づく実践とは違うのです。
アートにおけるユートピア戦略にはある種のモデリングがよく使われます。一種の「もしそうなったら...」というシナリオを考えてみると分かると思いますが、もし世界が違っていたらどうだろうか。もし労働が必要でないような都市で暮らすとしたらどうだろうか。これはコンスタント・ニーウウェンハイスの『ニュー・バビロン』の背景になっている生き生きとしたアイデアです。同じくヨーゼフ・ボイスの「もし私たちが皆アーティストだとしたら」という問いかけです。
あるいはリレーショナル・アートのアーティストたちの多くがよく提起する問題点には、「もしあなたがあらゆるコミュニティの人たちとアート作品を作るとしたら」とか「もしあなたの作品の中に観客の部分というのを作ってみたら」などがあります。ここで私が言いたいのは、ユートピア戦略には、もしこうしたら何が起こるかというシナリオが必ず含まれるモデリングを伴うということです。だからこそアーティストは問いかけることができるのです。彼らはそうすることで私たちが今とは違う方法で世界を考えるようにしてくれますが、だからといってアートを特別な政治的立場、思想、議論の対象にしているわけではありません。概してアート作品は素晴らしい議論、ましてや政治的論戦を引き起こすようなものではありません。それにも関わらず、アーティストは政治的、社会的世界について問題点を提起し、それが彼らの作品を興味深いものにしている面もあります。ユートピア戦略を行うことによって、アーティストはアートの様式の範囲内でも面白い方法で問題点を提起できるということです。
<関連リンク>
・ユートピアを求めるアーティストたち
第1回 なぜ「ユートピア」に惹かれ、「ユートピア」を目指すのか
第2回 ユートピア作品は社会の欠陥を写す鏡
第3回 4つのユートピア戦略と多様なユートピアンアーティスト
第4回 イ・ブルの批評的なユートピア作品
・「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会期:2012年2月4日(土)~5月27日(日)
・設営風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)
・「イ・ブル展」アーティストトーク2012/2/4(flickr)
・展示風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)
・「イ・ブル展」はこうしてつくられた!
普段見られない舞台裏に潜入したフォトレポートをご紹介します。(Blog)
・松井冬子×片岡真実 「イ・ブル展」MAMCナイト対談ギャラリートーク
第1回 松井冬子さんとイ・ブルの共通点、作品に込められた「不安・恐怖・痛み」
第2回 彫刻家と画家の違い、〜制作のスタンス・大事にする感覚・進め方
第3回 松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
第4回 説明無しでも強烈なエネルギーを発する作品
第5回 社会に対するパンクな精神に共感する