2012年10月25日(木)

生への探求・模索としてのサイボーグ
サイボーグから見るイ・ブル(3)

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」のシンポジウム「理想の社会を求めて」の高橋透さんによるサイボーグについての講演。最終回では、サイボーグを追い求めることとは何かについて、イ・ブルの作品画像を交えて紹介されました。

「イ・ブル展」アーティストトーク 会場風景
「イ・ブル展」アーティストトーク 会場風景
撮影:御厨慎一郎

イ・ブルは語っています。「生物学とテクノロジーの間の緊張というのは、さまざまな難しい問題を孕んでいる」(*8)。「私にとっては、この問題というのは、本質的には、私たちの進歩や完璧さに対する信仰と、『自然の』境界を越えてしまうという私たちの密やかな不安との間に起こる精神分裂へのあくなき問いかけとなっています」(*9)と。
私たち人類は技術を発展させることで生活を向上させてきたと言っても過言ではないでしょう。人間とは厳密な意味で技術的生命体なのです。技術は人間にとって、あとから副次的に付加されるようなものではなく、私たちの存在の本性を構成しているのではないでしょうか。そうだとすれば、人間という生命体は自然的な存在者として存在すると同時に、技術的な存在者としても存在していることになります。人間はこの意味で、存在の根底において引き裂かれているのです。私たちが生きているということは、それゆえ、こうした自然と技術という矛盾を抱え込んだ形の生を生きるということに、ほかなりません。私たちの生のモーターは、このような分裂した生を生きることを私たちの運命として、私たちに割り当てているのです。冒頭で紹介したように、現在私たちは、インフォメーション・テクノロジーやバイオテクノロジーに基づくサイボーグ・テクノロジーによって、私たち自身を変容させる可能性を手に入れつつあります。このテクノロジーは今後、私たちに強力な効果をもたらすことでしょう。しかし、原理的には、これらは世界をバイナリー言語による順列組み合わせとして切り取ることを前提としています。インフォメーション・テクノロジーがまさにそれですし、バイオテクノロジーが扱う、DNAを構成する4つの塩基もバイナリー言語に翻訳することができるわけですから、遺伝子組み換え技術とは、バイナリー言語の順列組み合わせにほかなりません。
しかし、遺伝子解析だけでは生の全容を解明したことにはならないことはバイオ研究者のみならずとも周知の前提でありましょう。生の姿は私たちにはいまだ隠されたままであり、秘密にとどまっているのです。生は秘密なのです。それでも私たちは、生という秘密を抱え込んだまま、生そのものである自然と技術の矛盾という状況を生きていかなければなりません。イ・ブルのサイボーグを通じた探求は人間のこのような生の姿の探求なのです。

空間のなかに浮かび上がる作品群。かつてイ・ブルはこれを着てパフォーマンスをしていました。今回の展示はその再制作です。
モンスターの様な着ぐるみの作品群を設営中のイ・ブル。
かつてイ・ブルはこれを着てパフォーマンスをしていました
撮影:御厨慎一郎

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
イ・ブル 《秘密を共有するもの》 2012年
撮影:渡邉修

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」展示風景
撮影:渡邉修

イ・ブルの最新作は、彼女のこれまでのアーティスト活動の間、ずっと連れ添ってきた愛犬、先ほど聞いたところでは3匹いたそうですが、2匹は死んで、今は1匹残っているそうです。その愛犬の彫刻作品であり、《秘密を共有するもの》というタイトルがつけられています。この犬の口からは、光り輝く無数のビーズが出ています。この光り輝くビーズは、森美術館の解説がいうように、イ・ブルと愛犬の間にある秘密なのでしょう。そして、この秘密とはもちろん、くだんの生の秘密、生という秘密であります。イ・ブルにとって生は自動生産的な増殖を意味し、魅力と恐怖を生み出すものなのでした。したがって、それは輝く煌めきであるとともに、嫌悪を催すおう吐物でもあります。それはサイボーグが生み出す、あの両義性と同様の効果を持っているのです。そして《秘密を共有するもの》というタイトルからわかるように、イ・ブルは犬に自分自身の姿を重ねているのでしょう。今回の展覧会のタイトルである「From Me, Belongs to You Only」、そしてその日本語への翻案である、「私からあなたへ、私たちだけに」は、こうした生という秘密の共有へのイ・ブルからのメッセージと解釈することができるでしょう。「理想の社会を求めて」という、このシンポジウムのタイトルは、生という秘密の、このような共有に向けた模索を表現しているのです。とはいえ、生の秘密、生という秘密は、それが秘密にとどまるためには、一義的な意味決定はありえません。私たちにできることは、各々が各々の仕方で生の秘密から何かをくみ取ってくるということであり、このような仕方で生の秘密という媒介により互いにつながっていくということではないのでしょうか。

*1. Donna J. Haraway, "A Cyborg Manifesto," in Simians, Cyborgs, and Women: the reinvention of nature, Free Association Books: London, 1991, p.149.
生と死の件。グッドイヴとのインタビュー(メモ)
*2. 「ダイレクト・リプログラミング」(メモ)
*3. 八代嘉美『増補iPS細胞』平凡社新書、2011年、p.154以下。
*4. (インタビュー)「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.32.
*5. 「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.33.
*6. 「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.31.
*7. NHKスペシャル取材班編著『生命の未来を変えた男』2011年、p.198。
*8. 「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.31.
*9.  「アーティストの二つの身体」『イ・ブル展《世界の舞台》』国際交流基金アジアセンター、2003年、p.31.
 

<関連リンク>

・サイボーグから見るイ・ブル

・サイボーグから見るイ・ブル
第1回 サイボーグ技術の今、ブレイン・マシン・インターフェイスやバイオ・テクノロジー
第2回 テクノロジーの発展に対する魅力と恐怖
第3回 生への探求・模索としてのサイボーグ

「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会期:2012年2月4日(土)~5月27日(日)

設営風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)

「イ・ブル展」アーティストトーク2012/2/4(flickr)

展示風景「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(flickr)

「イ・ブル展」はこうしてつくられた!
普段見られない舞台裏に潜入したフォトレポートをご紹介します。(Blog)

・松井冬子×片岡真実 「イ・ブル展」MAMCナイト対談ギャラリートーク
第1回 松井冬子さんとイ・ブルの共通点、作品に込められた「不安・恐怖・痛み」
第2回 彫刻家と画家の違い、〜制作のスタンス・大事にする感覚・進め方
第3回 松井冬子の「死」、イ・ブルの「ユートピア」
第4回 説明無しでも強烈なエネルギーを発する作品
第5回 社会に対するパンクな精神に共感する

カテゴリー:01.MAMオピニオン
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