サルワ・ミクダーディ氏による「アラブ・エクスプレス展」シンポジウムの基調講演レポートの最終話。1~3話で、アラブ美術が世界で注目されるにいたった20年間の歴史が紹介されましたが、これからアラブ美術はどこへ向かうのでしょうか。アラブの春の意味とは。
「アラブ・エクスプレス展」展示風景
撮影:木奥恵三
アラブと日本の交流
1970年代初頭から日本のアーティストは、アラブのアーティストを訪ねて交流してきました。当時、日本人アーティストはベイルートを訪ね、その後彼らはパレスチナ人を支援するポスターを制作しています。それ以降、両国の多くのアーティストが日本とアラブ諸国でレジデンシー、展覧会、ビエンナーレなどのプロジェクトを立ち上げたり参加したりしています。
例えば、パレスチナのアーティストであるウラジミール・タマリは70年代初頭に日本に移住し、帰化した国とパレスチナの思い出を表わす作品を発表しています(ウラジミール・タマリの作品はこちら)。
また、東京都現代美術館チーフ・キュレーターの長谷川祐子氏が、2013年3月に始まる第11回シャルジャ・ビエンナーレのキュレーターに選ばれたことも、注目に値します。
なぜアラブ美術が10年前ではなく、今回初めて日本で展示されることになったかという理由を、包括的に列挙できたわけではありませんが、アラブ美術を取り巻く状況を理解いただけたと思います。アラブ美術と文化は様々な問題をかかえており、これから理解を深め取り組まなければなりません。最もやりがいのある仕事の一つは、欧米的な一方向の考え方だけではなく、近代的なアラブ人の考えにも基づいた、美術に関する対話を地域から始めることです。アラブ美術は英語で解釈されていますが、アラビア語で読み解く時が来ています。
サルワ・ミクダーディ(近現代アラブ美術史家)
撮影:御厨慎一郎
アラブの言葉で語るべきアラブ美術
アラブ美術は決して孤立しているのではありませんから、他の創造的芸術と一緒に語られるべきです。美術を表すアラビア語はFunoun(フヌーン)と言い、文学、パフォーマンス、演劇、映画などあらゆる芸術を包括しています。美術制作においては、欧米の定義を採用せざるをえませんが、それらはヨーロッパ固有の長い美術史に根ざしています。アラブ美術は独自の歴史、文献、特色を持っていますから、私たちはそれを理解し研究する必要があります。
近代のアラブ美術に関する本の中で最高のものは、ジャブラ・イブラヒーム・ジャブラ、アブドゥル・ラフマン・ムニーフなどの小説家、詩人によるもので60年代、70年代に出版され、90年代初頭にヨルダンのダーラト・アル・フヌーンによって再刊されました。現在はビジュアル・アーティストを、現代美術、特にコンセプチュアル・アートを地域の芸術的規範の外で発表する傾向があります。アラブ美術の業績を推進するための新たな取り組みの数々が、分析的な視点で考察することにより推し進められています。(AMCA〔アラブ世界・イラン、トルコ近現代美術協会〕のホームページ参照。)
この地域を背景とするコンテクストの中で、アラブ美術を理解するのにもう一つ立ちはだかる壁があります。それはアラブの若者が悲観的で過激で、暴力に訴える傾向があるという印象を与えている、欧米主要メディアのアラブ文化に対する間違った考え方です。
「アラブ・エクスプレス展」展示風景
撮影:木奥恵三
アラブの春はアラブ人たちの人生への賛美
アラブの春はアラブの若者がいかに人生を愛しているかを表わしています。平和的なデモ参加者数千人が尊厳と正義のある人生を求めて、愛と平和への思考を示したのです。この7年間、希望、生活、楽天主義を推進する多くの社会的キャンペーンが行われました。例えばヨルダンの「希望の文化」やレバノンの「アイ・ラブ・ライフ」キャンペーンです。PR会社のサーチ・アンド・サーチ社などが企画したこれらのキャンペーンへは地元の企業や国際的な団体が資金を提供しました。彼らの目的は、死の文化を希望の文化に変えることでした。
これらのキャンペーンについての評論の中で、ベイルート・アメリカン大学教育学部のメイスーン・スカリエ教授は、アラブ世界の問題が主に「文化の問題」だと解釈されることに、焦点を当てています。アラブ世界と欧米は、欧米の東洋学者による型にはまった対立という図式にはめて考えられるので、そういった認識の問題を解決するには「文化的な改革」が必要とされるのです。スカリエ教授の言葉を引用すると「そのような文化的改革は、アラブ世界を新進歩主義的に再構築するために多くの人々が参加することを求める」ということなのです。しかし、アラブの春はアラブの人々の考え方が長年抑圧されてきたこと、また、アラブの文化が小説、映画、芸術、演劇、ダンス、詩作など形式を問わず人生を賛美しているということを示しました。アラブ人は人生を謳歌する仕方を学ぶような宣伝キャンペーンを必要としていません。制約されずに人生を愛するという、長年求めてきた自由を表現するために、ラップをやったり、歌ったり、グラフィティを描いたり、踊ったりするアラブの若者の希望と夢に耳を傾けてくださるだけでいいのです。アラブの人たちは仕事、社会的正義、基本的人権、そして政治への参加を求めているのです。
アラブの春は人生への賛美だったのです。最後に17世紀の日本の俳人、松尾芭蕉の言葉を引用して終わりたいと思います。
「見るところ花にあらずと云ふことなし
思ふところ月にあらずと云ふことなし」
サルワ・ミクダーディ(近現代アラブ美術史家)
撮影:御厨慎一郎
サルワ・ミクダーディ(近現代アラブ美術史家)
美術史家、キュレーター。アラブ世界の芸術、特に芸術におけるジェンダーと政治、美術館とアラブのアート機関について執筆活動を行う。2009年第53回ヴェネチア・ビエンナーレに初参加したパレスチナ館のキュレーターや、『New visions: 21世紀の現代アラブ美術』の共同編集、メトロポリタン美術館のウェブサイト「Heilbrunn Timline of Art History」へ、アラブ世界の20世紀現代美術史に関する寄稿などを行う。AMCA(アラブ世界、イラン、トルコ近現代美術協会)の創立メンバーやCultural & Visual Arts Resource/ICWA (1989-2004)のディレクターなどを務めた後、2012年3月までエミレーツ財団芸術・文化部長(アラブ首長国連邦)を務め、キュレーターや美術館専門家の育成支援に貢献した。現在は、アラブ世界の美術館やアート機関のコンサルタントや、アラブ世界の芸術についての講演などで活躍する。
〈関連リンク〉
・アラブ現代美術の今
(1)世界が注目するアラブ美術
(2)躍動するアラブのアーティストたち
(3)変化を続けるアラブ美術の行方
(4)アラブの春が美術に与えた影響とは
・「アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る」
2012年6月16日(土)-10月28日(日)
・アラブの翻弄された歴史と政治 "砂漠"を舞台にした作品から読み解く
・「アラブ・エクスプレス展」展示風景(flickr)
Section1
Section2
Section3 & Lounge
・インタビュー:「アラブ・エクスプレス展」南條史生編
(1)70年代当時と現在のアラブを比較して~
(2)世界が注目する、アラブの現代美術とその理由~
(3)展覧会開催が、文化外交、相互理解に繋がれば~
・インタビュー:「アラブ・エクスプレス展」近藤健一編
(1)アラブの世界の中の多様性を日本に紹介したい~
(2)本展のみどころ"黒い噴水"やアラブ・ラウンジについて