世界各国の才能豊かな若手アーティストを個展形式で紹介する「MAMプロジェクト」。第18回目の今回は、山城知佳子(1976年沖縄生まれ)が新作《肉屋の女》 (2012) を発表しています。展覧会初日の11月17日に行われたアーティストトークでは、この新作と、代表作《アーサ女》 (2008) 、新作と関係の深い《黙認浜―浦添市イバノの海》 (2007) について作家が語りました。
山城知佳子(作家) 撮影:御厨慎一郎
《アーサ女》 (2008) は8枚の写真と映像で構成されるインスタレーションで、米軍基地移転計画がある辺野古の海などや公共工事によって埋め立て予定地となっている沖縄の5ヵ所で撮影されました。映像では、海中の無数の気泡や珊瑚礁などが映し出されます。カメラは波に揉まれて水中、水上を行き来し、海上保安庁の警備船がすぐ近くにいることや、そこが岸からそれほど遠くないことも明かされます。映像の中で絶えず聞こえる呼吸音は、生きていることの証でありながら、息苦しくも聞こえ、沖縄本島自体が揺れているようにも見えますが、これは米軍基地など諸問題により「揺れる沖縄」との解釈もある、と山城は説明しました。
一方、写真では、山城本人が登場します。山城は水面に浮かび、沖縄でアーサと呼ばれる藻にまみれ、がんじがらめになっているようにも見えます。水と藻の流れに身を委ねる山城の身体は、日本と米国に翻弄される沖縄の象徴であるかのようです。
しかし、本作では「アーサ女」という女性が沖縄本島近海の波間に揺られながら沖縄を客観的に眺め、沖縄についてもう一度見直しているのだと、山城は言います。また、辺野古の海岸には米軍基地のフェンスという境界線が引かれており、越えてはいけないと思い込まされていたその境界線が海上では簡単に越えられることに気づき、国家の境界が幻想であるかのように、山城は感じたそうです。
左:山城知佳子、右:近藤健一(森美術館キュレーター)
撮影:御厨慎一郎
映像作品《黙認浜―浦添市イバノの海》は、浦添市のとある海岸に集まる男性へのインタビューを核にした映像作品で、男性2人が登場します。その1人は、自身の若い頃の回顧話をしているようですが、説明は抽象的で、彼が何者で何が起きたのかは明らかにされません。もう1人は浜に自分で建てた小屋でこの浜について語りますが、それを通じて、採藻や漁業、ダイビングなど、多様な目的でさまざまな人々が訪れるこの浜が、社交場的性格も持つ場所であることが示されます。
本作は、撮影地の近くに「イバノ」という店があったため、このようなタイトルが付けられました。また「黙認浜」という言葉は山城による造語で、米軍基地が隣接するために開発を免れてきた自然浜のことを指します。このような浜が沖縄には数ヵ所あると山城は指摘します。この名称は、米軍基地敷地の一部を地元の地主が農地として使用することが黙認されている「黙認耕作地」という言葉に由来します。黙認耕作地は沖縄各地にあり、米軍に土地を奪われた地主が、土地の所有権を主張して農業を営んでいるのです。
山城はこの、沖縄では「知らないことのようにすること」で存在してきた、雑多な人・モノが入り混じる「黙認」の空間に興味を持ち、毎週のように通って撮影を行いました。沖縄=楽園・癒しという一般的イメージとは裏腹に、現実の沖縄は米軍基地から派生するオスプレイ配備の問題や婦女暴行事件の発生など生きることすら保障されていない、と山城は言います。そんな地で、「黙認の空間」は逃げ場のような場所になっています。そのひとつである「黙認浜」に、最近道路工事が始まり、かつての姿はなくなってしまいました。
《肉屋の女》
2012年
3面ハイビジョン・ビデオ・インスタレーション
21分15秒
Courtesy: Yumiko Chiba Associates
《肉屋の女》 (2012年) は本展のために新しく制作された3面プロジェクションの映像作品です。米軍基地敷地内の黙認耕作地に実在する闇市で肉屋を営む女性を主人公に、闇市の近くにあるという設定の上述の道路建設が始まった「黙認浜」や、肉屋から続く鍾乳洞などを舞台に物語が展開します。
この闇市は、週末の午前しか営業されず、米軍払い下げ品、農作物、曲がったスプーンなどのガラクタや中古品など、多種多様なモノが非常に安価で販売されており、経済的な合理性だけではない人と人のつながりがある空間だと山城は形容します。肉屋も実在しますが、作品撮影のためには、空いているバラックを借り、壁を建てて肉屋に仕立てました。
約21分の本作は、フィクションと現実が交差する詩的映像であり多様な解釈が可能です。日本・米国・沖縄の関係、失業、開発と環境破壊、女性の権利などの諸問題が複雑に絡み合った今日の沖縄社会の隠喩とも解釈できるでしょう。
最も気になるのは肉が何のメタファーかということですが、最終的には人々を性差や帰属を超えた「肉」として描きたかった、と山城は言います。人体も肉で構成され、食べた肉は自分の肉になり、自分も誰かに食べられてしまう可能性すらあるわけです。この「肉の循環」という現象は、「沖縄のお年寄りの戦争体験を直に聞いた際に、その他者の声が自分の体内にとどまり、大きく育ち、肉までついてきている」という感覚としても説明されました。これは自分の内部に外部を抱え込み、もしかしたらその外部にのっとられてしまう危険性も孕むわけです。そういう危険さえも受け入れるというのが「肉の循環」なのでしょう。
今日では物理的には壊されてしまいましたが、黙認浜は様々な人が共生した自由な空間であり、そういう空間はメタレベルにおいても作れるのではないかと山城は考えます。沖縄に限らず世界中どこでも諸問題は存在し、そんな中では殻に篭ったほうが楽なのかもしれません。他者と関係性を持ち共生を目指すことには困難を伴います。しかし、黙認浜のような自由な空間を作り、危険を犯してでも敢えて他者に対して自分を開いていきたい。《肉屋の女》はそんな勇気を持つことの決意表明の物語なのであろうと、私は思いました。
文:近藤健一(森美術館キュレーター)
山城知佳子
撮影:御厨慎一郎
近藤健一
撮影:御厨慎一郎
会場の様子
撮影:御厨慎一郎
<関連リンク>
・「MAMプロジェクト018:山城知佳子」
2012年11月17日(土)-2013年3月31日(日)