2012年10月26日(金)

アラブの翻弄された歴史と政治
"砂漠"を舞台にした作品から読み解く

「アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る」の開幕に合わせ、6月16日(土)にシンポジウムが開催されました。第1部パネル・ディスカッションでは、本展アドバイザーでアラブ現代美術の専門家、サルワ・ミクダーディ氏の基調講演に続き、本展に砂漠を舞台にした作品を出品したジャナーン・アル・アーニとターレク・アル・グセインが、現代アラブ文学を研究する京都大学教授、岡真理氏の進行により「砂漠に隠されたもの」というテーマでディスカッションを行ないました。


ジャナーン・アル・アーニ(左)とターレク・アル・グセイン(右)。
彼らは砂漠をテーマに作品を制作

最初に作家が画像を見せながら自作を紹介しました。荒野や砂漠を背景に自身が登場する写真作品を制作するアル・グセインは、本展出品作の「Dシリーズ」(2008-09)、「DIIシリーズ」(2009)を中心に発表。これらの写真は、作家自身が緑の布で砂漠の中に境界線を引く行為の記録です。そこに見られる構造物が既存のものなのか、撮影用に新たに作られたものなのか明確ではなく、また、撮影場所も明らかにされません。作品のひとつに見られる「181」という番号は、パレスチナとイスラエルの境界を定めた1947年の国連総会決議の番号に由来し、これはパレスチナ分断への言及です。また作家はパレスチナ人でありながら、日本や米国などに移住しつつも、パレスチナを訪れたことがありません。緑の境界を構築・解体する作業は、新しい土地に自身の家もしくは居場所を作っては壊すことでもあり、人間のアイデンティティが流動的であることをも示唆します。

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作家自身が登場する本展出品作を中心に発表を行なったターレク・アル・グセイン


ターレク・アル・グセイン
《無題 23(D シリーズ)》
2008-09年
Courtesy: The Third Line
Photo: Kioku Keizo

イラク出身で現在ロンドン在住のアル・アーニは出品作《シャドウ・サイト I》(2010)を含むシリーズ「消滅の美学:人のいない土地」(2010-11)について、リサーチ段階の写真も紹介しながら、制作の過程を説明しました。ヨルダンで空撮されたこの作品には、大地に刻まれた幾何学模様が次々と映し出されます。それらは古代遺跡や、建築物が撤去された跡地、採掘場のようにも見え、意外なものが砂漠の中に存在することを提示します。シリーズ制作のきっかけとなったのは2006年の英国の新聞記事で、イラクで虐殺の跡地を調査する英国人女性が、花や蝶を頼りに死体が埋まっている場所を探し当てるというものでした。一見するとなにもない場所にもかすかな「跡」が残っている、ということに興味をもったアル・アーニは、後に、何もないように見える場所でも、陽が低くなることで影が長くなり、何かがあることが露呈する「シャドウ・サイト」という考古学用語を知り、作品のタイトルとしました。そして、第一次世界大戦の後期の戦場が美化された米国軍事航空写真が、彼女の作品中の砂漠の美的描写につながり、また、仏人写真家による手術の傷跡が残る女性の体の写真が、大地に刻まれた軌跡と類似することなど、アル・アーニのリサーチと作品との関連性が論理的に説明されました。


ジャナーン・アル・アーニは、砂漠地帯を空撮した映像作品を出展


ジャナーン・アル・アーニ
《シャドウ・サイト I》
2010年
Photo: Kioku Keizo

後半のディスカッションでは、現代アラブ文学および第三世界フェミニズム思想研究者の岡氏が、アル・グセインのシリーズ名について、「D」は砂漠(Desert)の頭文字であり、ユダヤ人によるパレスチナの破壊(Distraction)、パレスチナ人の消滅(Disappearance)と ディアスポラ化(Diaspora)、さらには1948年にイスラエルによって実施され数十万人のパレスチナ人を追放した「D計画」など、シリーズ名から想起されるパレスチナ問題の歴史との関連性に言及。また、「人のいない土地」というアル・アーニのシリーズ副題が、「民なき土地を土地なき民に」という、ユダヤ人のパレスチナ入植を正当化するスローガンに関連するものと解釈可能であるという、分析をし、彼らの作品の背後に潜む政治性を明らかにしました。さらには、一般的に砂漠の写真はどこで撮影されたものかが明白でない匿名性を伴うこと、そして西洋では伝統的に砂漠が無人の空白地帯として表象され、故に侵略してもかまわない、という入植の正当化に援用されたことを説明しました。


モデレーターの京都大学大学院 人間・環境学研究科教授 岡 真理氏


アーティストらのセッションに引き込まれていく観客たち

このように、本セッションでは、砂漠という場所に隠された歴史や政治性が明示されたわけですが、それは、「目に見えることが真実のすべてではない」という真理の提示でもあります。そして、日本には砂漠は存在しませんが、それを海に置き換えて考えると、その意味が私たちによりリアルに迫ってきます。一見すると常に不変の青い海ですが、海底には太平洋戦争の跡として軍用船が眠り、竹島、尖閣諸島の帰属問題に代表されるように、人工的に境界線を引こうという国家の欲望も潜んでいます。そして、3.11以降、放射能汚染により生物の突然変異も報告されるなど、私たちにとって海が意味するものは変わってきました。アラブに固有な事象を描いているように見えるアル・グセインとアル・アーニの作品でも、想像力と翻訳力を少し働かせて解釈すると、このように私たちの問題も見えてくるのです。能動的に作品と対峙することの重要性を再確認することができたパネル・ディスカッションでした。

文:近藤健一(森美術館キュレーター)

<関連リンク>

「アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る」
2012年6月16日(土)-10月28日(日)

「アラブ・エクスプレス展」設営風景(flickr)

「アラブ・エクスプレス展」展示風景(flickr)

・インタビュー:「アラブ・エクスプレス展」南條史生編
(1)70年代当時と現在のアラブを比較して~
(2)世界が注目する、アラブの現代美術とその理由~
(3)展覧会開催が、文化外交、相互理解に繋がれば~

・インタビュー:「アラブ・エクスプレス展」近藤健一編
(1)アラブの世界の中の多様性を日本に紹介したい~
(2)本展のみどころ"黒い噴水"やアラブ・ラウンジについて

・「1分でわかるアラブ」
(1)スクリーンに映るアラブ
(2)男たちの社交場/カフェはじめて物語
(3)羊か鶏かそれが問題だ/料理にホスピタリティー
(4)悠久の遺跡がいっぱい/文明発祥の地メソポタミア
(5)美は幾何学的にあり!?/書道とアラベスク

カテゴリー:03.活動レポート
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