デジタル世界のキャラクター、生命、人間や都市とのインタラクション
展覧会はデジタル空間、メタバースで生まれた最初の人間《ヒューマン・ワン》(2021年)で始まります。ビープルによる初の立体作品である本作は、直方体の空間にいる人物が果てしなく世界を歩き続け、デジタル作品でありながら立体的な存在感を生んでいます。続く佐藤瞭太郎は、ゲーム制作に使われる兵士、少女、動物など無名のキャラクター・データ「アセット」を映像作品に大量に用い、どこか不穏で不条理な世界を描き出します。代替可能な生命として使われるアセットは、戦争や自然災害などで失われている現実世界の命を連想させ、その意味を改めて考えさせます。ディムートは、AI言語モデルに早くから関心を持ち、機械と人間の関係性を問い掛けてきました。出品作《エル・トゥルコ/リビングシアター》(2024年)のタイトルは、18世紀のハンガリーの発明家ヴォルフガング・フォン・ケンペレンによる自動チェスマシンが、実際には内部で人間が操作していたという逸話に由来したもので、2名のAIキャラクターあるいはAIと観客による哲学的な対話の場が設けられます。一方、キム・アヨンの映像作品《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》(2022年)が描き出すのは、コロナ禍で拡がった配達サービスの移動の軌道です。それは最短距離、最短時間を競いながら、ソウルという都市空間をバイクで通りぬけるキャラクターのラブストーリーでもあります。
テクノロジーと人間の精神性、仏教的な世界観
自身もチベット仏教の実践者であるルー・ヤンは、人間の身体と意識について根源的な問いを投げかける新しいテクノロジーや大衆文化を通して、仏教的な叡知を浮き彫りにします。自身のアバターDOKU(ドク)が登場する映像作品では、スピリチュアルな空間を旅しながら、身体と精神の関係性やアイデンティティなどを問います。ジャコルビー・サッターホワイトもまた、仏教における「慈悲の瞑想(メッター・プレイヤー)」を題材に、コレオグラフィ(振付)、ウォールペーパー、ビデオ、アニメーション、音楽が一体化したマルチ・メディア・インスタレーションで、万華鏡のようなCG世界を創出します。いずれもアーティスト自身のアバターが登場し、独自のサウンドやビジュアル・エフェクト、インスタレーションを通して、仏教的な世界観と新しいテクノロジーの壮大な融合を、観客は体験することになります。
テクノロジーが描く風景―地質学的時間から果てしない未来へ
シュウ・ジャウェイ(許家維)はテクノロジーの本質を金属や鉱物など地質学的な観点から捉え、無形のデータやクラウドではなく、物質としてのテクノロジーを起点に人類史をはるかに越えた時間軸へ想像を広げます。新作映像ではウェハと呼ばれる半導体の材料に使われるシリコンに着目します。藤倉麻子は東京郊外の都市風景に関心を持ち、その均質性に西アジア文化圏の砂漠の風景を重ね合わせてきました。3DCGによる動画では、都市風景や工業製品などのテクスチャーやデジタル空間の光と影を探求しながら、独自のオアシスや庭園を創り上げます。ヤコブ・クスク・ステンセンは、フィールドワークや他者とのコラボレーションを通して生態系を探求します。映像と音響、光るガラス彫刻から成る没入型の映像インスタレーション《エフェメラル・レイク(一時湖)》(2024年)では、デス・バレーとモハーべ砂漠で採取した動植物、風景の写真や3Dスキャン、標本、録音データなどをデジタル化し、融合してシミュレーションによる仮想の湖とそれを取り巻く生態系を創り出しています。その光景は作家自身も予測不可能なほどにに変化し続けます。生物学や生態系に深く関わるアニカ・イの作品では、アーティストが長らくリサーチしてきたさまざまなイメージや過去の作品をマシンに学ばせ、新しく生成された世界が描かれます。さらに、アドリアン・ビシャル・ロハスは、コロナ禍下で開発したソフトウェア「タイム・エンジン」で過去から果てしない未来までの時間軸から特定のタイミングを設定し、時空を越えた風景を描き出します。
テクノロジーと人間―500年間の関係
AI研究の第一人者であるケイト・クロフォードが情報通信技術(ICT)研究者でアーティストのヴダラン・ヨレルと協働して描く《帝国の計算:テクノロジーと権力の系譜 1500-2025年》(2023年)は、16世紀以降のテクノロジーと権力の関係性を幅24メートルのインフォグラフィックにまとめたものです。テクノロジーと人間の関係を500年以上の長い時間軸で据えることで、戦争、AI、気候危機といった今日の世界的な変革を、グーテンベルグの活版印刷術が大きな文化的変化をもたらした時代、植民地主義が始まった大航海時代にまで立ち返って考えさせます。