東恩納裕一の展示
社会、そして個人の人生に作用する力を持った表現を生み出せるアーティストの条件、それは様々な意味で「タブーを恐れないこと」。そのように考えたとき、日本アートの現在形はどのような姿で私たちの前に現れてくるのでしょう。「六本木クロッシング」2007年版を担当した荒木キュレーターに聞きました。
----「六本木クロッシング2007」展において伝えたかった「現在形の日本のアート」とはどんなものだったのか、教えてもらえますか?
荒木:前回も少しお話しましたが、やはり「力のある」アーティストの作品ですね。私たちの人生に作用してくる、何らかのメッセージを十分に持っている方々を選んだつもりです。結果として、どの作家も激しさを内に秘め、突き詰めていくタイプが多かったとも思いますね。そのような性質は、私がアーティストの皆さんを尊敬する大きな要素の一つでもあります。
横山裕一の展示
この分刻みの現代社会で、私たちはいろんな問題、いろんな感覚を「なかったこと」にしてしまいがちです。見過ごしたり、ごまかしたり、諦めたり。本当は少しずつでも解決する努力をするべきだけど、それができない。でも、見ないふりでフタをしても、どうしても出てくるものは誰でも持っていますよね。アーティストはそのフタをちゃんと開けて、見るのが辛いものも含めてそれを突き詰める。しかも、常識的な生産性や効率といったものを気にせずに----。
そんな作品に出会うと、何らかの形で自分の人生についても考えることができます。皆さんの中でそういうことが少しでも生まれたら、それはアートの効能があったということかなと思うんです。それは観る者にとっては、解放や癒しにもつながるのではないでしょうか。
田中偉一郎の展示
----いまのお話は、いわゆる現代アートに特有の性質と言えるでしょうか。
荒木:同じ時代に生きる人の表現から受ける体験、という意味ではたぶん昔からあって、言ってみれば「タブーを恐れないこと」かもしれませんね。例えば「六本木クロッシング2007」展でオーディエンス賞を獲得した田中偉一郎さんの『子づくり表札』(注:上記画像の左上)、あれは一種のタブー破りでもあると思います。あの作品の背後にはユーモアだけでなくて、少子化の問題や、「じゃあ子どもを生みさえすれば正しいの?」といった問いも生まれ得ますよね。
私自身の体験で言うと、当時ちょうど夫と一緒に引っ越したばかりで、新しい家の表札に旧姓も加えるかどうかで悩んでいたんです。何か不自然な主張のような気がして。でも仕事では旧姓を使っているので、表札にどちらも加えないと郵便物が届かないとか、社会的には不都合な場面も出てきます。そんなこともあって『子作り表札』は自分にすごく訴えるものがあったんです。制度、家族、社会的な性差......私がモヤモヤしていたのはこれだったのか!って(笑)。
もちろん、それは作り手のアーティストの意図とは必ずしも関係ありません。でも、優れた作品には、しばしば作家も意図しない何かが宿ります。それは、観る側に内在する何かに訴えかける潜在力だったり、深読みできる余地であったり......。そこに様々な想いを抱えたオーディエンスが訪れて、作品と対話する。こうして、アートならではのコミュニケーションが生まれるのだと思っています。
《最終回「現代アートが人生に役立つ環境づくり」を整えたいへ続く》
「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展示風景
2007年10月13日~2008年1月14日
森美術館
撮影:木奥恵三
写真提供:森美術館
<関連リンク>
・連載インタビュー:クロッシングを振り返って(全6回)
第1回 世代やジャンルの「枠組を越える表現」が集った2007年
第2回 「幻想都市の魔力」榎忠/「ユーモア革命」田中偉一郎
第3回 「若手対決」名和晃平+鬼頭健吾/「人形の匠」四谷シモン
第4回 4人のキュレーター:異ジャンル間の「つながり」と「浸透」
第5回 「突き詰める/ごまかさないアート」が観る者を解放する
・「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展
・「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」
会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)