2010年5月17日(月)

「見えない」を、見せる写真で作品に ~横溝静アーティストトーク(後編)


アーティストトーク第1回の模様(2010年3月20日開催)

ロンドンの娼婦を被写体にした写真作品《all》を手掛けた横溝静さん。なぜ横溝さんは娼婦を被写体にしようと思ったのでしょうか。「六本木クロッシング2010展」出品作《all》の誕生背景をご本人が語ってくれました。

横溝:私は写真や映像といった、見ることを条件とするビジュアルなメディアで作品をつくっています。娼婦の人たちを撮ろうと思ったのは、「見せる」ものである写真や映像を使って、「見えない」もの、現象のようなものを作品にできないかと考えたからです。

どうして「見えない」ものと「娼婦」が関係あるのかというと、世の中、周りを見回すと広告や雑誌などありとあらゆるところに「見える」ものがあります。その一つは、セクシャライズされた女性の身体のイメージです。こうした女性の身体は肉体的な、あるいはセクシュアルな親密さをアピールしながらも、その行く先はセックスに直結するわけではなく、時計や下着や香水などの商品になって消費されていく。そういう"イメージの身体"です。

これに対して娼婦の人たちは、実際に肉体の親密さそのものが商品で、そこには彼女たちの"現実の身体"があります。でも私が探すのが大変だったように、周りを見回しても娼婦の人たちはどこにも見えません。

セックスという性行為自体も、実は全然視覚的なものではないんです。ポルノなど性行為のファンタジーを描写しているメディアはありますが、実際の性行為というのは目に見えないし、視覚的なものではありません。また、ポルノにコアやマニアックなどがあるように、私たちの頭の中にも個人的なファンタジーがいろいろあると思います。娼婦の人たちは、そういう私たちのファンタジーさえも身体で受け止めるんです。「もう想像しなくていいのよ、私が与えてあげるから」と。

つまり、彼女たちの身体というのは、想像上のものも含め、イメージが消滅していく場所なのではないか。私は娼婦の人たちの身体を、イメージとフィジカリティーの間、境界というか、ある意味インターフェイスのようなものではないかと考えているので、娼婦の人たちにとても興味があるのです。

最後にキスマークについてですが、これは私が彼女たちの前に立ったように、皆さんがこの写真の前に立ったとき、可能性としてはこの人たちを買うことができる、そういう現実のフィジカルな部分を感じてもらいたかったのです。

「そんなこと言ってもガラスケースに入っているじゃないか。やっぱり見えるもの、単なるイメージじゃないか」とおっしゃるかもしれません。でも美術品は売り買いできる商品でもありますから、この作品は買うこともできる。そして買った人は、例えば作品のガラスケースを外すこともできるし、キスマークに触れることもできます。私は作品を見る人に対し、彼女たちが"現実に存在している"ということを強調したかったのです。(終)

撮影:御厨慎一郎

【横溝 静プロフィール】
よこみぞ・しずか――東京生まれ、ロンドン在住。自己の存在と世界、他者との距離や関係などをテーマにした写真作品や、時間をテーマにした映像作品などを手掛ける。主な写真作品に、眠る友人を撮影した《Sleeping》(1995~97年)、見知らぬ他人を被写体にした《Stranger》(1998~2000年)など。映像作品に、老齢の女性ピアニストが演奏する姿と、演奏者の自宅を2面プロジェクションに映す《Forever (and again)》(2003 年)など。現在は「六本木クロッシング2010展」に出品しているシリーズ作品《all》(2008年~)を制作中。

※この記事は2010年3月20日に開催した「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」のアーティストトークを編集したものです。

<関連リンク>
・横溝静アーティストトーク(前編)
「娼婦の人たちを探すのは大変でした」
森美術館フリッカー
今回のアーティストトークの模様をアップしています
「六本木クロッシング2010展」
会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)

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