2011年2月10日(木)

不可能で限界があるから彫刻は面白い―小谷元彦 アーティストトーク

2011年、新しい年を迎えた森美術館のパブリックプログラムは、1月11日(火)に開催した「小谷元彦展:幽体の知覚」のアーティストトークでスタートしました。告知開始後に多くの方から申し込みがあり、すぐに申し込みを締め切ったほどの人気プログラム。アーティスト自身から、作品の制作意図やプロセスなどの話が聞けることが人気の秘密。今回も、サブタイトルにある「幽体」が意味するもの、作品に影響を与えた映画や仏像の話などの貴重な内容に、参加者は熱心に耳を傾けていました。


自身の作品への思いを語る小谷さん

アーティストトークは、小谷さんの作品を象徴的に表す言葉として、展覧会のサブタイトルにも使われた「幽体/Phantom」についての話からはじまりました。小谷さんは、幽体という言葉を4つにわけて捉えていると語ります。1つ目は、痛覚などの目に見えないけれども確かに感じることができる存在、2つ目は、オペラ座の怪人のような変異体、3つ目はコンピュータの技術開発の発展に伴い身体と脳が分離していく状態、最後は、自分の中の他者の存在であると言います。

目に見えない存在が幽体として古典文学や芸術で表現される具体的な例として、シェイクスピアの《マクベス》の中で暗殺を実行しようとする主人公の前に現れる短剣の幻や、死後に亡霊となった主人公を中心に物語が展開するクラシック・バレエの《ジゼル》が紹介されました。さらに、小谷さんは、録音した自分の声や、鏡に映った自分の姿など、客観的に自分自身をみたときに覚える感覚を例えにしながら、自分の中の他者の存在について言及していきます。

自らの内に存在する他者の存在の説明として、小谷さんは映画『羊たちの沈黙』を例に挙げました。連続殺人犯ハンニバル・レクターとFBI訓練生のクラリス・スターリングが初めて会う場面で、相反する立場でありながら、クラリスがレクター博士に吸い寄せられるようなギリギリの緊張感、魅惑と畏怖の先に自分の姿を見出してしまうかのような表裏一体の現象について語る小谷さん。その話は、なるほどと思わせる説得力がありました。


満員となった会場の様子

「彫刻は『存在』そのものをつくるメディアでありながら、アニミズムという概念はありつつも、『生命体』そのものをつくりだすことはできず、不可能性、限界という言葉を考えざるを得ない。しかし、だからこそ彫刻は面白いメディアである」と小谷さんは言います。世界を救うための象徴として1000本の手を表現した《千手観音菩薩像》(葛井寺)や、あらゆる方角に顔を持ち、救済の多面性を強調した《十一面観音像》(聖林寺)の写真などを紹介し、彫刻というメディアが、いかに目に見えないものを効果的に表現する面白い手法であるかについて、「幽体/Phantom」の概念に絡めて語りました。

目に見えない存在を意識することによって、自らの感覚が呼び覚まされる。小谷さんの彫刻をめぐる話はそんなことを気づかせてくれる貴重なひとときでした。

「小谷元彦展:幽体の知覚」は2月27日まで開催中です。まだご覧になっていない方は、お見逃しなく!
 

<関連リンク>

「小谷元彦展:幽体の知覚」
会期:2010年11月27日(土)~2011年2月27日(日)

・「小谷元彦展:幽体の知覚」アーティストの素顔に迫る ~小谷元彦インタビュー
第1回 <幽体=ファントム>とは何か?展示を前に思いを語る
第2回 映像で彫刻をつくるということ
第3回 彫刻という表現の可能性--始まりは「仏像はエフェクト」という開眼だった
第4回 生まれ育った京都で、ファントムを感じていたのかもしれない
第5回 優雅さと暴力性、ファッションの魅力とマンガの影響
第6回 お笑いと映画への愛 自分に重ね合わせる、リスペクトする人たち

・森美術館flickr(フリッカー)
展示風景「小谷元彦展:幽体の知覚」
「小谷元彦展:幽体の知覚」アーティストトーク 2011/1/11
トーク・セッション「日本、彫刻の可能性」2010/12/5

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