「アフロ民藝」とは?
「アフロ民藝」は、シアスター・ゲイツがハイブリッドな文化の未来構想として描く、黒人の美学と日本の工芸の哲学を融合させた新たな美学のマニフェストです。ゲイツが長年にわたり築いてきた日本、中国、韓国の陶磁器の歴史との関係をたどりながら、日本の民藝運動と米国の「ブラック・イズ・ビューティフル」運動という2つの重要な運動を反映する、芸術的で知的な試みです。両運動は、ともに文化的な独自性が、近代化と欧米化という外的かつ支配的な圧力によって脅かされていた時代に、大衆への訴求、学術的な討論やプロパガンダを手段として活発になりました。
ゲイツは「アフロ民藝」について「フィクションであると同時に真理でもある」と言います。これまでの活動の集大成として、ゲイツのアートに大きな影響を与えた民藝運動を生んだ日本で本展を開催することは、文化がその国で、世界で、そして文化間で醸成されていく過程へのオマージュであり、証でもあります。
「アフロ民藝」を紐解くキーワード
1. 「アフロ」とは?
接頭語の「アフロ」は、公民権運動の際に黒人としてのアイデンティティとエンパワーメントの象徴として広まったヘアスタイルを指し、広くは「アフリカ系」を意味します。
2. 名もなき職人たちと見過ごされてきた素材
「民藝」は宗教哲学者であり美術評論家の柳宗悦(1889-1961年)が、陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎とともにつくった造語で、無名の工人たちの手仕事による工芸品のことを指します。柳は、芸術、哲学、宗教が織り交ざる伝統文化から生まれた民藝を、「従来の芸術や美の概念にはない特有の美しさを秘めるもの」と評しました。民藝は、個人の芸術家ではなく工人が無心で制作した工芸品や、人々が生活の中で使う生活雑器の中に真の美しさを見出します。
3. 「アフロ」と「民藝」のハイブリッド
本展出品作の多くは、アメリカで今なお根強いアフリカ系アメリカ人への差別意識に抵抗し、生き抜こうとする彼らの集団意識から生まれた「ブラックネス(黒人であること)」に言及しています。アメリカ人であると同時に黒人であるゲイツ自身の「二重意識」(※1)を生かし、「アフロ民藝」では、黒人文化と日本文化という二つの異なる文化的次元を実験的に融合させています。
たとえば、ペンテコステ派やバプティスト派の教会で用いられる「ハモンドオルガンB-3」は、人種間の緊迫関係のなかで黒人コミュニティが求めた精神的・政治的な安らぎの場の寓意とされています。このようなアフリカ系アメリカ人の深層的な集団意識を象徴するものや、アフリカの工芸品と、日本の陶磁器や茶器、香具や酒器などの儀式で使われる道具とを大胆に組み合わせることにより、世代を超えて継承される工芸を称賛しつつ、新たな文化的価値を生み出そうとしています。
※1 アメリカ黒人解放運動の指導者であった社会学者のW・E・B・デュボイス(1868-1963年)が著書『黒人のたましい』(1903年)で指摘した、アフリカ系アメリカ人が直面する意識の二重性。
4. ゲイツの陶芸作品に見られるいくつもの原点
ゲイツはこれまでさまざまな観点から陶芸作品を発表してきました。初期の重要な作品のひとつには、日本から米国ミシシッピ州に渡った架空の陶芸家「山口庄司」を題材にしたものがあります。黒人女性と結婚し、日本の陶芸とアフリカ系アメリカ人の表現を融合した山口の作品は、全てゲイツ自身の創作でした。その他の陶芸作品にも、アフリカの工芸や、奴隷の陶芸職人であったデヴィッド・ドレイク(1801-1874年頃)、アメリカの陶芸作家ピーター・ヴォーコス(1924-2002年)、そして日本の多様な陶芸史などの影響が見受けられます。ハイブリッドな背景から成り立つゲイツの陶芸作品は、「アフロ民藝」を解釈するうえで非常に重要なメディアとなっています。
5. 人々の協働とコミュニティ
ゲイツがシカゴ市のサウス・サイド地区で手掛けた地域再生プロジェクトでは、忘れ去られた空間に命を吹き込むべく、建物を再生し、人々が集い、交流し、協働できる新たな拠点を創出しています。柳宗悦は、民藝には「真に協力の世界が見える」と述べ、その多くは地域社会の人々の協力なくして成立しないとし、また「乱れた社会の組織からは、正しい工藝を予期することができぬ。」(※2)とも書いています。創造活動を通した社会貢献ともいえるゲイツのプロジェクトは、そうした柳の思想と呼応します。
※2 柳 宗悦『工藝の道』(講談社学術文庫、2005年)54-55頁