韓国のアーティスト、イ・チャンウォンを紹介するMAMプロジェクト017。関連プログラムとして、変化の著しい韓国のアートシーンについて、韓国現代美術の展覧会を数多く手がける北澤ひろみ氏に本展担当キュレーター荒木夏実が対談形式でお話を伺った。
右:北澤ひろみ氏 左:荒木夏実
撮影:御厨慎一郎
「韓国から目が離せません。」と言う北澤氏。2002年、ソウルのイルミン美術館で開催された「荒木経惟 小説ソウル物語トーキョー」を皮切りに、数々の韓国現代美術の展覧会を手がけてきた同氏だが、韓国を訪れるたびに、アートシーンのみならず社会の急激な変化に驚かされると言う。
韓国現代アートにおける2000年代の発展を語る上で、ターニングポイントとして北澤氏は1997年のIMF危機をあげる。タイで起こった通貨危機に、韓国も大きな打撃を受け、国際通貨基金(IMF)に緊急支援を要請する事態に至った。この経済危機に直面し、今までとは異なる形で新世代アーティストを支援し、ジャンルを超えた様々な活動がなされるオルタナティブ・スペースが誕生する。ループなどの非政府系のスペースや、政治支援によるインサ・アート・スペース、ファッション企業、サムジによるサムジ・スペースもこの経済危機が引き金となって誕生した(2009年3月に閉館)。
サムジ・スペースでのプロジェクトに携わった北澤氏は、経済危機の中、重工業からコンテンツ産業へのシフトを図った政治的背景を追い風に、"箱物"にお金をかけるのではなく、工夫次第で若い作家への支援ができることを示したこの状況に、韓国の底力を感じると言う。韓国ではオルタナティブ・スペースでの活動が目に留まり、一足飛びに国際舞台に踊り出ることがある。東京では、韓国のオルタナティブ・スペースのように、「今生まれようとしている作品、アーティストを紹介する場所が欠如している。」と北澤氏は指摘する。
本対談では、MAMプロジェクト出展作家のイ・チャンウォンも含め、2000年代に登場した韓国のゼロ年代アーティストたちの様々な表現が紹介された。ゼロ年代の作家の中には、上記のような環境で活躍の場を広げていった "オルタナティブ・スペース・アーティスト"が多く存在する。多様な美意識や価値の転換を示す《Translated vase》などで知られるイ・スギョンや、他者の記憶に基づく物語を映像化した《Handmade Memories》などのユニークな映像作品で知られるヂョン・ヨンドゥはその代表格だ。一方、イ・チャンウォンは、IMF危機直後の硬直した韓国アートの現状を受けてドイツに渡り、2011年に母国に戻るまでの10年余りを過ごす。上記のアーティストたちとは対照的な選択をした訳だが、いずれにしても経済危機が契機になっていることは興味深い。
イ・スギョン
《Translated vase》
2009年
陶器片、エポキシ樹脂、24金 金箔・金粉
92 × 95 × H160cm
Courtesy: Ota Fine Arts
Copyright of the artist
ヂョン・ヨンドゥ
《Handmade Memories - '6 x 6 Manor' 》
2008年
HD video
6min 08sec
Courtesy of the artist & Kukje Gallery
前世代の韓国アーティストが、政治的、社会的な主題に対して直接的な表現の多かったのと比べ、客観性、独特の距離感、洗練された表現がゼロ年代韓国アートには見られると北澤氏は分析する。このような韓国現代美術の流れを俯瞰する視点は、本展出品作品の《パラレル・ワールド》に新たな見方を提示してくれる。本作では、壁に映る無邪気な光のシルエットと、その元となっている紛争や事件の報道写真が並置される。一見楽しそうな事象の裏には深刻な事態が潜んでいることを表すと同時に、事実を伝えるはずの報道写真も写真を撮った人のフィルターによって切り取られた世界の一部であり、そのドラマチックに脚色された姿からシルエットが抜け出して新たな物語が紡がれている。イは「見る」という行為や、メディアのあり方に疑問を呈しつつも、その視線、スタンスはきわめて冷静で、他のゼロ年代のアーティスト同様に社会的な主題を軽やかに表現している。
イ・チャンウォン
《パラレル・ワールド》
2012年
デジタルプリント、鏡、照明、台
展示風景:森美術館
さらに冒頭で触れた韓国特有の「変化」についても意見が交わされた。韓国では政府の方針、社会の変化によって美術を取り巻く環境も大きく影響を受ける。キュレーターも短いサイクルで、美術館、オルタナティブ・スペース、ギャラリー、インディペンデント・キュレーターと所属が変わる。それは不安定にも映る一方、現代美術においては、変化を受け入れ、異なる視点を取り込んでいかなければ面白いものは生まれないと荒木は言う。韓国で仕事をする際、気力、体力ともに充実させた上で臨むと言う北澤氏は、「違う視点を持つということは、作品、作家と関わる上で大切。凝り固まった考えは作品理解を妨げる」と、あえて変化に挑む姿勢を示した。
現在、領土問題で日韓関係の緊張が高まっているが、本対談では両キュレーターの実体験に基づく話から、報道では知りえない韓国の素顔を垣間見ることができたように思う。IMF危機という苦境から、オルタナティブ・スペースという新たな場を創出し、多様な表現を国際的に発信してきた韓国。そのピンチをチャンスに変える原動力は、私たちも学ぶべきものがある。「日本人も、もっと積極的なアプローチをしてもいいのではないか。」と、韓国の力強さに敬意を表し、日本人も前に出て行くことを提案する両キュレーター。その言葉の根底には、日本の現代美術を盛り上げていきたいという願いと意気込みが感じられた。
文:酒井敦子(森美術館エデュケーター)
<関連リンク>
・インタビュー:「MAMプロジェクト017: イ・チャンウォン」 キュレーター・荒木夏実
(1)韓国のアカデミックなアート教育と、それから解き放たれた「儚い彫刻」
(2)素材に見る西洋×東洋、様々な文化的、政治的背景、歴史、社会構造
(3)現実とその影の狭間に、冷静なまなざしを向ける~
・「MAMプロジェクト017:イ・チャンウォン」
会期:2012年6月16日(土)~10月28日(日)