静謐な佇まいで淡々と、しかし熱く語るその姿は、アーティストの物事に対する真摯な姿勢を物語る。-- 開催中の「MAMプロジェクト017:イ・チャンウォン」展で鏡の反射による伸びやかなシルエットと、新聞や雑誌などの報道記事に垣間見る深刻な現実を並置する《パラレル・ワールド》を出品するイ氏に、これまでの制作活動と本作について語ってもらった。
イ・チャンウォン
1972年生まれで韓国出身のイ氏は、ソウル国立大学美術学校で彫刻を専攻した後、ミュンスター芸術アカデミーで学び、2011年に韓国に戻るまで10年余りをドイツで過ごした。異国の地で食文化の違いに直面したイ氏は食材を使った作品に取り掛かる。自身と妻のシルエットをかたどったビニールにコーンや茶葉をつめた試作やその他の実験を重ねた後、ビニールから食材を出し、壁にブラインド状に取り付けた奥行きの浅い複数のパネルに少しずつのせてシルエットを浮かび上がらせる、イ氏の代表作ともいえる作品へと発展する。イ氏は「ビニールに入っている食材は閉じ込められているような気がして、そこから解放したかった。」と述べているが、棚の上に置かれ、その場の空気に晒された食材は、視覚だけでなく嗅覚にも訴え、見る者の触覚をも刺激するような結果をもたらした。
イ・チャンウォン 制作風景
茶葉、コーヒーの粉、サフランなどの食材でシルエットを浮き上がらせる同シリーズを制作する中で、素材のはかなさや一過性に着目したイ氏は、あえて永久性を象徴する銅像をモチーフとして扱う。《南山(ナムサン)の一日》では、韓国の独立運動の象徴として南山(ナムサン)公園にある金九(キム・グ)と安重根(アン・ジュングン)の銅像のシルエットが浮かび上がる。従来使われるブロンズなどの堅牢な素材とは対照的に、イ氏の作品ではコーヒーの粉が使われる。ひと吹きすれば飛んでしまいそうなそのはかなさは、銅像モチーフが英雄として扱われる世間の評価がいかに移ろいやすいものかを示唆する。
《万歳!》 写真左
《南山の日》 写真右
2009年
挽いたコーヒーの粉による壁のインスタレーション
もともと、ステンドグラスに興味のあったイ氏にとって、光は重要な作品の要素だ。上述の作品についても、シルエットを形作っているのはコーヒーの粉などの素材と、棚の間の光の反射である。イ氏は光の反射が「物質の非物質的な側面を表すと同時に、新たに物質を作り出す」ということに注目したと言う。本展の《パラレル・ワールド》も、その光の反射を巧みに生かした作品だ。
《パラレルワールド》
2012年
展示風景:森美術館
1歩足を踏み入れると、ギャラリーの壁一面にキリストの誕生、ノアの箱舟、マティスの《ダンス》などを髣髴させる光のシルエットが私たちを囲む。躍動感あふれるこのシルエットがどこから来ているのか、と壁沿いに並ぶ台に視線を落とすと、そこには様々な事件、紛争地域の惨状、東日本大震災の様子を伝える新聞や雑誌記事のイメージが張られた鏡が並べられている。イメージの一部が切り取られていて、鏡がむき出しになった部分に光が当てられ、その反射がシルエットとなり壁に映り込む。
《パラレルワールド》
2012年
展示風景:森美術館
浮かび上がったシルエットを、元の文脈から「脱け出した姿」と語るイ氏。シルエットとその元となる報道写真を並置することによって、「現実」から抜け出た光のシルエットが新たなストーリーを紡ぐ空間を作り出す。イ氏はこの作品で「現実から生まれ、現実を超越していく姿」を体現し、「アートの意味や、現実社会とアートの関係性に問いを投げかけたい」と語る。そして、イメージが氾濫し、物事の表面だけが見せられる今日の風潮について触れ、「見せかけのイメージの背後には多くの事象が隠れているという関係性を見せたかった。」と言う。
イ氏の話を聞く中で「解放」という言葉が印象に残った。試作の過程でビニールの中に閉じ込められた素材を解放したいと生まれた作品シリーズ、元の報道写真から解き放たれたシルエットが舞う《パラレル・ワールド》。言い換えれば、イ氏は何か1つの見方、やり方、価値観にとらわれることなく、その呪縛から自由になれるということを知っている人なのだろう。「別の視点で見る機会を与えるのがアートの役割」と語る通り、それは作品を通して私たちの元へ届けられ、多様な見方への気づきに導く。
イ氏の丁寧な語り口と誠実な受け答えに聞き手の私たちも「解放」されたのか、アーティストトークでは参加者の方から多くの質問が寄せられた。さらに知りたいという気持ちにさせられるイ氏の作品。日本でイ氏を紹介するのは初となる本展を多くの方に見ていただきたい。
文:酒井敦子(森美術館学芸部パブリックプログラム エデュケーター)
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・「MAMプロジェクト017:イ・チャンウォン」
会期:2012年6月16日(土)~10月28日(日)