公開期間: 8月1日(土)~10月31日(土)
「MAMスクリーン」アンコール上映の第4弾では、「MAMスクリーン010:ミハイル・カリキス」で上映した3作品を限定公開します。
ミハイル・カリキス(1975年ギリシャ、テッサロニキ生まれ)は、ロンドンを拠点に国際的に活動しています。近年のホワイトチャペル・ギャラリー(ロンドン、2018–2019年)、トゥルク美術館(フィンランド、2018年)での個展開催の他、あいちトリエンナーレ2013、第19回シドニー・ビエンナーレ(2014年) など、さまざまな国際展にも参加しています。
カリキスは音楽、建築を学んだ後、映像、写真、パフォーマンスなど多様なジャンルを横断し、体感型インスタレーションへと発展させてきました。彼は音を作品の主要な素材として捉えていますが、なかでも人間の声はとりわけ重要な役割を果たしています。本プログラムで上映する《地底からの音》(2011-2012年)、《怖くなんかない》(2016年)、《チョーク工場》(2017/2019年)の3作品は、いずれも人間の存在そのもの、友情、労働、行動(アクション)などに対するオルタナティブなモデルを提示するものです。そこから実感されるのは、経済や産業構造の変化が個々の人生に及ぼす影響、さらには労働や雇用とは何か、コミュニティとは何かといった根源的な問いです。さまざまなコミュニティによる集団の声に耳を傾けながら、情報化の進む現代社会、多様性が受け入れられる未来の社会に想像を膨らませてみましょう。
アーティスト&キュレーターからのコメント
芸術についての考察と未来を巡るビジョン
石炭は英国人の日常生活と長らく共にあり、重要な役割を担ってきました。炭鉱は家庭や工業炉に燃料を供給し、労働組合と合唱団の活動は国の社会政治的、文化的生活を活性化してきました。現在、イギリスの風景は、1980年代半ばから国内で展開されてきた急激な都市、社会、経済の変化によって特徴付けられています。そして、80年代にイギリスの石炭産業が解体されて以来、多くの炭鉱は荒涼たる存在となってしまいました。
《地底からの音》は、今では静寂に包まれてしまったイギリス南東部の荒れ果てた炭田を舞台とし、以前そこで働いていた元炭鉱夫たちに発言の場を与えたいという思いから制作されました。かつての誇り高き炭鉱夫たちは炭鉱の閉鎖に伴い、集団失業、貧困、コミュニティの分散を余儀なくされました。彼らは社会的に非難され、多くの屈辱を味わうこととなったのです。私は彼らのコミュニティ、業績、抵抗の歴史、そして文化に関する様々な記憶をどのように継承していくべきかを考えました。
私は2010年より炭鉱福祉男声合唱団とともに《地底からの音》の制作を開始しました。元炭鉱夫たちと対話を重ね、彼らが坑内で働いていたときに聞いていた作業中の音を思い出し、声にすることを依頼しました。石炭を採掘する機械がガーンと鳴る音、唸るエンジンや叫ぶようなアラームの音、地下の爆発音など、制作された映像では炭鉱夫たちがかつて働いていた炭鉱を彷佛とさせる様々な音を声に出すことで、役目を終えてひっそりと佇む炭田に命を吹き込みます。炭鉱の解体によって一度は離れ離れとなった炭鉱夫たちは、歌うという共通の目的のもとに再び集結しました。彼らの歌によって荒涼とした採掘現場は野外劇場と化します。そこは皆が一丸となって記憶を呼び覚ますための場となり、かつて行われていた活動や培われたコミュニティの記録が紡がれていきます。炭鉱夫たちひとりひとりが尊厳を持ってその場に立ちながら、喪失の記憶を掘り起こします。彼らが集団となって奏でる哀愁の念は社会的な声を奪われた立場に抗い、今となっては衰退してしまったイギリスの産業建築を包み込む沈黙をも超え、共鳴します。
数年後の2015年に日本を訪れる機会があり、その際に東京郊外で働く工場労働者に目を向けることとなりました。2013年に初来日したのですが、それ以前に日本における障がい者の労働や雇用に対する文化的姿勢について独自にリサーチを続けていました。日本では企業に対して、最低でも雇用する労働者の2.2%(2013年当時は2%)に相当する障がい者を雇用することを義務付けていますが、多くがこの制度に応じるよりも未達成企業として納付金を支払うことを選択します。ただし、例外もあり、障害のある人々の働く権利を真摯に考え、前向きな提案をする企業もあります。
私は日本理化学工業株式会社という企業と出会いました。この工場では全体の70%以上を占める障がい者の社員が働いています。工業を訪れた際、専門的なスキルを持ち合わせた社員が一丸となり、高い生産性を維持しながら勤勉に仕事に取り組む姿を目にしました。《チョーク工場》で見受けられるような優秀な労働者らは、その業績や能力によってアイデンティティが確立されます。しかしながら、彼らは日本の文化史において「できないこと=障がい」によってのみ評価されてきました。ただ、これは日本文化における唯一の姿勢ではありません。
日本の民話や伝承を調べていたところ、かまど神として知られる「ひょっとこ」(火男)について学ぶこととなりました。ひょっとこが今を生きる人物であったならば、彼は学習障害を持つ者とみなされていたでしょう。なぜならば、自身に課せられた作業に対する指示を何一つとして理解することができなかったからです。床を掃除するように頼まれれば天井を穿き、柑橘系の果物を捕りに行くことを命じられれば葉っぱを集めてきてしまう。しかし、火をおこし、絶やさずに燃やすこととなれば話しは違いました。彼は熱心に、そして精力的にそれをこなし、人々が外出している間は村の家々を暖め、明かりを灯し、皆が料理できるように火を燃やし続けたのです。彼の働きと人々の生活に対する貢献はかけがえのないものであり、その存在は今日私たちが全国の店頭や家屋、刺青のモチーフや祭り事で目にする面によって不滅のものとなっています。ひょっとこは様々な困難に直面したかもしれませんが、彼は火をつかさどる類希な能力によって評価され、人々の記憶の中にとどまり、伝承を通じて現在も崇められています。
この文章を書き進める今、私たちが暮らす地球は世界規模のパンデミックに脅かされています。私たちは突如様々な障害に直面し、以前のような生活をおくることができなくなっています。私たちひとりひとりがより孤立や孤独を経験することとなりました。多くの人々が病気になり、中には残念ながら命を落とした人もいます。また、多くの地域では雇用と生活の見通しの悪化により、人々が貧困状態に陥っています。このような世界的な災害の最中、芸術と文化には果たして何ができるのでしょうか?多くの点において、芸術は即時に実用的な解決策を提供することはできません。芸術ができることといえば、様々な形で気遣いや共感、思いやりを発信し、届けることです。芸術は困難や試練に立ち向かう人々の姿勢や生き様など、今を生きる私たちへのヒントとなる物事を映し出すことができます。私がこれまで携わってきたプロジェクトでは、テーマが失業であれ障がいであれ、人間の尊厳と連帯、そして逆境に直面した際の人々の思いやりと影響力のあるアクション(行動)に焦点を当ててきました。芸術を通じて私たちは様々な可能性や希望、影響力に満ちた未来を想像することができます。想像力を働かせてポジティブな未来を思い描くことができれば、あとはそれを現実のものとすべく尽力するのみです。これから訪れる困難に立ち向かうためにも私たちは、今まさに一丸となって取り組まなくてはならないと考えています。
ミハイル・カリキスは人間の声を彫刻化することで、そこに彼らの尊厳を投影してきました。特定の形を持たず、聴覚によって認識される彫刻です。彼は次のように言っています。「言語は信頼できないと思うことがしばしばあります。言語や言葉は何かを隠蔽することができますが、声そのもの、ボリューム、声色、それが暗示するものは、感情のバロメーターとして機能するのです。声はその人の感情の世界をレントゲンのように映し出します。実際、私は人の声を聞いただけで、その人の身体が健康かどうか、感情の状態がどうであるかも知ることができるのです」。
パンデミックによって世界の社会構造の脆弱さや不均衡が露わになったいま、カリキスの芸術生産へのこうした姿勢は、まさにその意義が強化されているように思われます。人間中心、経済中心の成長モデルの限界が改めて指摘され、自身の足下にある地域を見つめ直し、そこにあるあらゆる生命が健やかであるような社会を目指すこと。人間も自然界の一部として、自然の営みの声を聞くことも求められています。カリキスの作品から聞こえてくる声は、現在の私たちに何を考えさせてくれるのでしょうか。
ミハイル・カリキス《地底からの音》
《地底からの音》
2011-2012年
ビデオ
6分47秒
《地底からの音》でカリキスは、元炭鉱の合唱団員だった人々に、彼らが坑内で働いていたときに聞いていた作業中の音を思い出し、声にすることを依頼しました。カリキスは彼らが働いていたイギリス南部ケント州の炭田をロケ地に選び、炭鉱夫たちの歌によって荒れ果てた炭鉱が息を吹き返すような映像をアーティストのウリエル・オルロウとともに制作しました。くぼんだ炭鉱はちょうど野外劇場のようになり、地下の爆発音、採炭切羽で採掘する機械がガーンと鳴る音、叫ぶようなアラームの音、地面を削るショベルの音などが共鳴します。それらはすべてスノーダウン炭鉱福祉男声合唱団の声によるもので、彼らはピケットライン(労働争議のときの監視員)を連想させるように並んでいます。
この作品についてキュレーターでライターのカテリナ・グレゴスは次のように述べています。「この映像は、政治的であったり詩的であったりというあらゆる型にはまったドキュメンタリーのリアリズムに風穴をあけ、哀愁に込められた尊厳や感情の力を共鳴させている。それは記憶、頌歌(オード)、賛辞(トリビュート)、鎮魂歌(レクイエム)をすべて一度に回収するような働きをする。[中略]石炭採鉱という行為の本質を捉えながらも、ピケットラインを想起させ、男性のアイデンティティや一緒に働いたり唱ったりするという共通の目的によって生まれる連帯感などを暗示している。」
ミハイル・カリキス《怖くなんかない》
《怖くなんかない》
2016年
ビデオ
10分
Commissioned by Whitstable Biennale 2016 & Ideas Test
イギリス南部のアイル・オブ・グレインは、一時は軍事用に使われていた脱工業化された湿地帯です。カリキスはこの地域で育ったティーンエイジャーとともに《怖くなんかない》を制作しました。過疎化した村では若者のための場所が限られているため、彼らはこの数年、地元の森のなかでレイブを企画し、警察ざたにもなりました。作品のなかでは、グレイン出身の11歳から13歳までの少年たちが、地域内にある発電所を取り壊す絶え間ない破砕音をビートとして使い、彼らの人生、幼かった頃の思い出、歳をとったときのこと、未来などについて書いたラップを唱っています。ミュージック・ビデオを彷彿させる映像は、都市の周縁に生きる若者を彼らの秘密の隠れ家で撮影し、以前にレイブを開催した地元の場所を返してくれるよう騒がしく訴える様子を捉えています。若者たちが友情や遊び、あるいは権力を覆し大人の監視から逃れるスリルを通して、自分たちだけの場所を公正なものにしていく。そのことによって工業用地の在り方を再考するひとつの方法を提示しているのです。
ミハイル・カリキス《チョーク工場》
《チョーク工場》
2017/2019年
ビデオ、シングル・チャンネル・エディション
22分22秒
Commissioned by European Capital of Culture 2017, Aarhus, Denmark
Supported by Channel 4, UK and Arts Council England
Special thanks to Nihon Rikagaku Industry Co., Ltd, Shibata Naomi, Kiku Day, Osaka Koichiro, Dr. Nicola Grove, Mitsudo Yumiko, Namba Sachiko, Spiral and the Yokohama
Paratriennale 2014.
《チョーク工場》はカリキスが知的障がいのある人々の働く日本の工場の協力を得て制作したプロジェクトです。川崎市にある日本理化学工業株式会社では、1959年に知的障がい者の若者2名の実習をしました。彼らが働く最後の日、工場のアイデンティティ、ひいては日本の雇用の歴史といった観点からも、知られざる重要な出来事がありました。工場労働者が障がいのある仲間の実習終了に対し、彼らと共に働くことが有益であると強調して、正式な採用を求めたのです。それから約60年後、この工場では全体の75%近くを占める知的障がい者の社員が働いています。カリキスは障がいのある人々の働く権利を訴えたこの歴史的な行動に心を動かされました。
本プログラムでは、当初10チャンネルのビデオ・インスタレーションとして制作された作品をシングル・チャンネルに再編集しています。作品のなかでは、工場での日々の活動を導くチャイムの音、機械の音とともに聞こえるつぶやき、不随意な発声、繰り返される独り言といったサウンドスケープ(音による風景)が描かれています。また、働く人々がカラオケで見せる楽しげな不協和音も挿入されています。《チョーク工場》は障がいというものの特有の文化史に光を充て、生産性、身体的・社会的機能などを認め、障がいと労働に関する倫理的な問いを私たちに向けているのです。
「MAMスクリーン010:ミハイル・カリキス」
会期:2019年2月9日(土)~5月26日(日)
主催:森美術館
企画:片岡真実(森美術館チーフ・キュレーター〔当時、現在、森美術館館長〕)
※展覧会ページはこちら:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamscreen010/