《湖のアーチ》
水着姿の若い男性が、水際に立って誰かと話しています。やがてもう1人の男性が現れ、2人は水中に飛び込みます。彼らは水深がとても浅いために瞬時に立ち上がり、そのうちの1人はとても痛そうにしながら、湖底にぶつかって傷ついた鼻先をカメラに向けて見せます。彼らの背景には建築家リカルド・ボフィルの古典的な寺院のように見える集合住宅「湖のアーチ」と人工湖が映し出されます。この「湖のアーチ」は、フランスのアヴィニョン橋やシュノンソー城、スペインのセゴビア旧市街と水道橋などを参照しており、フランス政府による都市計画(ニュータウン)としてヴェルサイユ宮殿近くの人工湖に1981年に建てられたものです。湖の深さを考えずに飛び込むという若者のふざけた浅はかな遊びの失敗は、野心的なビジョンがありながらも今や廃墟のように見えるこのポストモダン建築にも通じているようです。
《海から海へ(オーシャン2オーシャン)》
本作は、《海から海へ(オーシャン2オーシャン)》というタイトル通り、海で生まれた古代生物の残骸、それらの長い進化の過程で生まれた人間が「人新世」とも言われる短期間で推し進めた都市化、その都市化の過程で作られた人工物が環境問題を解決するという理由で海へと戻される様子などがループとなって映し出され、その円環的な関係性について一考を促します。
旧ソビエト連邦、すなわち共産主義の輝かしい成果と権力の象徴として、モスクワ、サンクトペテルブルク、キエフ、トビリシ、ベルリンなどに造られた地下鉄の構内は大理石の壁で覆われています。ソビエト各地の山々から切り出された大理石が使われる壁には、ジュラ紀(約2億年~1.5億年前)の古代生物の化石が模様となって残存し、時間に追われて電車に飛び乗る現代人達を見守っているのです。資本主義の象徴であるニューヨークの地下鉄は、アップタウンからダウンタウンまで、社会の様々な層をつなぐ交通手段であり、老朽化した地下鉄車両は、その寿命を終えた後に人工的なサンゴ礁として大西洋に沈められ、新たな海洋生態系を形成します。こうした様々なシーンの間には、ニューヨークの公衆トイレに流れる渦が物事全てを観る「眼」のように挿入されています。また音楽はカリブ海最南端の島国トリニダード・トバゴ共和国で発明されたドラム缶から作られた打楽器、スティールパンによる独特な音色によるものです。
《黄金と鏡の都市》
本作は、マヤ文明の遺跡で有名なメキシコのユカタン半島にある観光都市カンクンで撮影された映像を編集したもので、都市、文明、自然の重層的な関係性を見せています。マヤのピラミッドを模した近代建築のホテルに集い「Alma Azteca(アステカの魂)」という名前のテキーラを一気飲みするアメリカ人の若者たち、飛行機で操作され空に舞う「ワフー酋長」の凧、プールで泳ぐイルカ、植物で覆われたマヤの古代遺跡の中で儀式的なダンスを踊る男、鏡面ファサードを持つ近代建築の爆破、ナイトクラブのレーザー照明によって作られる星雲や宇宙船のように見えるイメージなどが映し出されます。資本主義の中で観光対象としても保存されたマヤ文明はかつての輝かしい歴史を様々な形に変えながら存続し、いつか消滅する、もしくは遺跡となり得る近代建築と共存しているのです。
《虚構戦争の本当の残党 5》
この初期作品は35mmフィルムで撮影されており、本プログラムの中では一番絵画的で、フランス人画家ユベール・ロベールによるロマン主義絵画を思い起こさせます。古城にある石の欄干と、その向こうに広がる森の中央にある樹木から突如として白い煙が吹き出す様子をカメラがゆっくりと左方向へと動きながら捉えます。樹木の姿は一時的に煙に覆われて見えなくなるものの、白い塵のようなものがゆっくりと広がって地面に落ち、再びその姿を現します。カメラは一旦静止し、その樹木の下でこのマジックショーのような風景を作り出したであろう2人の人間をクローズアップして見せます。そこでは、封建制の象徴であった古城の背景に広がる自然と、消火器を用いて煙を魔法のようにまき散らす人間とが対比されます。タイトルの「虚構戦争」とは文明と自然の間で、人間が勝手に思い描いたものなのかもしれません。
《デスニャンスキー地区》
タイトルの《デスニャンスキー地区》とはウクライナの首都キエフのある区域のことですが、本作は別々の場所で撮影された3つのシーンから構成されています。
最初に、ロシアのサンクトペテルブルク郊外で、赤と青の服に分かれたフーリガン達が乱闘にも見える試合を行っています。いわゆる公共団地を想起させる近代建築を背景に、奇妙に統制された男たちの動きは、エネルギーの発散方法としてのパフォーマンスのようにも見えます。次に、光と音の壮大なスペクタクルが繰り広げられ、フィナーレはパリ郊外の高層住宅ビルの爆破で締めくくられます。このシーンは、理想的な都市計画の一部として建てられたものの、スラム化して犯罪の温床となり最後には爆破されたミノル・ヤマサキによるプルーイット・アイゴー団地なども想起させます。そして最後には、雪の積もったキエフ郊外の高層建築群が映し出されます。コンクリートのストーンヘンジのように統制の取れた建築は、合理的な秩序や理想を具現化しているかのようです。そしてクードラムによるメランコリックな音楽がこれら3つの異なるシーンを繋ぎ合わせます。
本作は、合理的な秩序に基づいた都市計画が果たして人間にとって最良のものなのかについて一考を促すのです。
《KOE》
本作の《KOE》は、ドイツのデュッセルドルフにある大通りケーニヒスアレー(Königsallee)の略称です。ケーニヒスアレーは、中心部にある人工運河の両脇に位置し、高級ブランドの店舗が立ち並ぶ一大ショッピングストリートです。そこに、あまりにも鮮やかなためにCG合成したようにすら見える黄緑色の美しい鳥の群れが周期的に現れます。本来は室内ペットとしてヨーロッパに輸入されたアフリカやアジア原産のインコが街中で繁殖し、夕方に運河沿いの木々で眠るために群れとなって現れるのが、この街の日常となっているのです。ガイヤールの他の多くの作品と同様、本作は多様なものの共存や異なる時代の歴史の重なり合いといったものを明らかにしているといえます。