2008年から続いた「MAMアートコース」の最終回を飾るのは世界的に活躍するアーティスト、オノ・ヨーコ。
Yoko Ono
Photo by Synaesthete
À© 2009
今回の「MAMアートコース」は、講演会自体がオノさんの仕掛けた《希望の路》という作品だったのではないだろうか。オノさんのトーク、上映会、書のパフォーマンスに続き約1時間も行われた観客との質疑応答、こうした一連のプロセスは、結局、観客たちが彼女の洋服を少しずつ切り取っていく《カット・ピース》(1964年)や彼女がホテルの一室のベッドにジョン・レノンと共に入り、取材に訪れた記者達と平和について話し合う《ベッド・イン》(1969年)にも通じ、観客と一緒に「希望」という想像力で世界を変えようとする試みであったように思えた。
MAMアートコース第13回
「オノ・ヨーコ―希望の路」
2011年8月4日
写真:御厨慎一郎
写真提供:森美術館
オノさんはまず、日本の現状について思いつくままに語ってくれた。日本が第二次世界大戦、広島、長崎の原爆投下から復興を成し遂げたことの凄さ。当時、国際社会に日本を助けようとする動きは全く見られず、どちらかというと悪者扱いされており、そんな中で復興を成し遂げた日本は、その忍耐力と底力によって世界中の感嘆と尊敬を得たこと。だからこそ、今年の3月11日の東日本大震災以降、こんなにも国際社会が日本を援助してくれるのだということ。また3.11という原発事故を含む未曾有の災害を前にした日本国民に今求められているのは犠牲者意識を持つことではなく、戦後の復興で発揮された底力、潜在能力であること。しかも、日本人は二度も復興を行うチャンスを持つ選ばれた民族として自信を持つべきであること。想像しなければ実現化することはできず、想像は力であること。背伸びせず、自分自身に正直であることの重要性。「七難八苦」を「七幸八宝」(造語)へと変化させてみたこと、アートは平和産業であること等々。3.11以前、常にある種平和ボケした日本社会と国際社会の温度差を感じ、元来「想像」が「創造」に繋がると考えていた私としては、大変共感できるお話だった。
次に、ヒロシマ賞の受賞者として広島市現代美術館で行われている個展「オノ・ヨーコ展 希望の路」のドキュメンタリーが上映された。広島、長崎、戦争や核、3.11などの悲しい記憶、そこで奪われた命への追悼であると同時に未来への「希望の路」を想起させる展示の様子が窺えた。
MAMアートコース第13回
「オノ・ヨーコ―希望の路」
2011年8月4日
写真:御厨慎一郎
写真提供:森美術館
上映が終わると、書のパフォーマンスが続く。オノさんがすっと立ち上がって伸びやかな「夢」の一文字を毛筆で書き下ろした。この書は森美術館に寄贈され、そのマルチプル100部の販売収益は3.11で親を亡くした子供のため、あしなが基金へ寄付されることになっている。
さらに、観客からのあらゆる質問にオノさんが答えるという質疑応答の時間へと移る。次から次へと質問したい人の手が挙がり、結局ステージ前中央にマイクを立てて質問者に並んでもらうことになる。質問は様々だが、やはり、3.11以降どのように日本人として生きていくべきなのかという若い人からの人生相談が中心で、それに対してオノさんが終始、一対一の関係で丁寧に答えていたのが印象的だった。無理をせず自分らしくいること、逃げたい人は逃げても良いこと、より良い世界を想像することで実現すること、未来について語るより現在できることを最大限に行うことの重要性など。質疑応答を聴きながら自分なりのより良い世界を想像すること、また今できる事を実行することで、そうした世界の創造へ少しでも寄与できれば、と改めて思った。
MAMアートコース第13回
「オノ・ヨーコ―希望の路」
2011年8月4日
写真:御厨慎一郎
写真提供:森美術館
最後は、この物語の続きは皆さんに託しますと言い残され、大きな拍手の中、退場。いつの間にか観客を当事者として作品の中へと巻き込んでいく様子に、オノ・ヨーコさんが世界的なアーティストである所以を垣間見た。
椿 玲子(森美術館学芸部アシスタント・キュレーター)
<関連リンク>
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