神田智子さんは、多数のテレビCMにヴォーカルやコーラスとして参加するなど、透明感のある歌声がとても印象的なヴォーカリストです。そんな神田さんがアート・プロジェクト《不平の合唱団―東京》に歌う側ではなく、合唱指導&指揮者として参加されました。本番前日、最終練習の後に、プロジェクトに参加した感想を伺いました。
――いよいよ明日が本番ですね。今の気分は?
神田:とても緊張しています。楽しみもすごく大きいのですが、指揮を振るのは初めての経験ですので、緊張しています。
――合唱団のメンバーは年齢も性別も、合唱経験の有無もばらばら ですね。練習が大変だったと思うのですが、指導する際に気をつけたことはありますか。
神田:歌うのが初めての方というのは、音がとれていないとか、どこができていないというのが、自分でわからないことがあるんです。ですので、そういうところは全体で歌っているときにちゃんとひろって、「ここが違ってるな」と思ったら、きめ細かく指導したつもりなのですが......。やはり100人という大人数ですし、なにより練習がワークショップを含めてたったの5回だったこともあり、十分にはできなかったと思います 。
でも、みなさん、とっても頑張ってくださって。たぶんお家でかな り練習してくださったのだと思います。前回の練習の最後に通しで歌ったときは、リズムが ちょっとそろわなかったところがあったので少し心配していたのですが、(最後の練習日と なった)今日は格段にレベルアップしていました。
――神田さんの指導はとてもやさしいですよね。練習で聞こえない音や歌詞があっても「違う」とか「ダメ」とは言わずに、「ソプラノのこの部分は、入りがふわっと細いので......がんばりましょう」と言ってみたり。指摘されたみなさんが思わず笑っていましたが、すぐにちゃんとその部分を直して歌えていました。
神田:厳しくするのは、あまり得意ではないので。それに、どうせなら楽しくやりたいですしね。合唱団には上下関係があるわけではないですし、私も先生という立場とは違うと思うので。「一緒につくりあげていこう」という意識が強かったです。 合唱が初めての方と同じように、私も初めての経験ですから。
心強かったのは、メンバーの中で指導や指揮の経験のある方が「そこはこう練習をもっていたほうがいいかもしれないですね」とアドバイスしてくださったり 、「そこはこう振ったほうがいいですよ」と教えてくださったりしたことです。
――それに関係すると思うのですが、このアート・プロジェクトは みんなでつくりあげる"参加型"という特徴があると思います。アーティスト(テレルヴォ ・カルレイネンとオリヴァー・コフタ=カルレイネン)は参加型アートについて、「プロジ ェクトに関わる誰もが何らかの変化を体験する場である」と言っています。
そこで質問ですが、このプロジェクトに参加して、神田さんの中で何か変化したことはありますか。あるいは、得られたものとか。
神田:うーん、得られたもの......勇気、ですかね。何もかも初めての経験でとても不安でしたが、飛び込むしかないという勇気。まあ、そういう状況に置かれたということもありますが、勇気が、ちょっとですけどね。腹をくくってやろうっていう勇気。
――アーティストのふたりは、どんな人でしたか。怖かったとか、 楽しかったとか。
神田:怖いということはなかったですね。印象としては、オリバーはチャーミング、おちゃめな感じ。テレルヴォは、とても芯が強い。
――大口さんは?
神田:大口くんとは長いんですよ。知り合って5年ぐらいかな。彼は 、バランスをとるのが上手だと思いました。
――バランスというのは?
神田:プロジェクトを進めていくうえでの立ち居地ですね。この短時間で不平不満をまとめて歌詞にして、それに曲をつけるというのは、とても難しいことだったと思います。
テレルヴォとオリバーは歌う側にまわってしまうので、私たちが合唱団をまとめて練習を進めていくしかない。これは想像していたよりも、ずっと大きな仕事になったと思うんです。そういう状況のなか、仕切ってどんどん話を進めてしまうのではなく、みんなとコミュニケーションをとりながら上手くまとめていたので。
――この合唱団に対する印象はどうですか。今日の練習を拝見していて、小さなコミュニティになっていると思いました。アーティストが「こうしたいんだけど、みんなはどうかな?」と訊いたら、メンバーの中から「だったらこうしないと」とか、 「それは難しいから、こうしたらどう?」と意見が出てきて。見ていて興味深かったのです が。
神田:実は練習の2回目ぐらいまでは、みなさんとっても静かたったんですよ。毎回練習の後に森美術館が軽食を出してくださったのですが、最初の頃はみなさん、おしゃべりもせずに黙々と食べて「お疲れ様です......シーン」という感じで、そっと静かに帰っていかれる方が多かったんです。
なので、最初は私も「とにかく曲を歌って覚えてもらおう」という感じでした。でもだんだんとメンバーの中から「ちょっと歌詞をこうしたほうがいいと思う んですけど」と、練習後にちょこっと言いにきてくださった方がいて。「じゃあ、ちょっとみんなで話してみましょう」「意見のある方、どんどん言ってください」って聞いてみたんです。
そのあたりからみなさんコミュニケーションをとって、積極的に意見を出してくださるようになりました。
――小さな社会の成り立ちのようなものが、この3週間で見えた感じですか。
神田:そうなんです。おもしろかったですね。合唱自体、最初はすごく不安だったのが本番を前にかなりレベルアップしたっていうこともありますが、みんなのコミュニケーションの網目がつながって、広がっていくのが見えたのはおもしろかったですね。
――いよいよ明日が本番です。本番への意気込みと、展覧会にいら っしゃるお客さんに一言お願いします。
神田:もともとこのアート・プロジェクトが、不平不満というマイ ナスのものをプラスに変えようという趣旨のものなので、みなさんと一緒に私も楽しみたい と思います。
お客さんには、そうですね......不平不満というのは、なかなか口に出せなくて日々たまっていくものだと思います。私も今回、やったことのないことを任されて「うわぁ」と思ったのですが、やるしかないという勇気をもって踏み出して、楽しくなったところがあります。
たまっている不平不満やマイナスのものを日々の生活の中でうまくプラスに換えていけるような、考えの切り替え方だったり、ちょっとした勇気を持ったりすると、不平不満に思っていることも、意外と「まあ、悪くないな」と思えることがあると思うんです。この合唱を聴いてそういう人が増えてくれたら嬉しいですね。「不平不満があってもハッピーに暮らそう」っていう社会になっていくといいなと思います。
――ありがとうございました。本番、そして展覧会、楽しみにして います。(終)
撮影:御厨慎一郎
【神田智子(かんだ・ともこ)プロフィール】
ヴォーカリスト
静岡県生まれ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。2001年よりバンド「anonymass」にヴォ ーカルとして参加し、4枚のアルバムをリリース。2009年10月に脱退。2008年より「World Standard」にヴォーカル、コーラスとして参加。そのほかCMや映画、舞台、ミュージシャン のレコーディングなどに、ヴォーカルやコーラス、ナレーターとして参加。
CM:SONY「VAIO type T」「VAIO Xシリーズ」、資生堂「新HAKU」、 JR東日本「Tokyo Station City」他多数。映画音楽:「ハンニバル・ライジング」(Peter Webber監督)、「LOVERS」(チャン・イー モウ監督)、「Absurdistan」(Veit Helmer監督)、「ブラブラバンバン」(草野陽花監督 )、「Different Cities」(五島一浩監督)他多数。
【《不平の合唱団》とは?】
《不平の合唱 団》は、アーティストのテレルヴォ・カルレイネンとオリヴァー・コフタ=カルレイネンが 世界各地を訪れ、地元の人々から不平不満を集め、地元の人々と一緒に合唱曲にまとめ、みんなで声高らかに歌うというアート・プロジェクトです。
この《不平の合唱団》東京版が、「MAMプロジェクト010」展で実現しました。展覧会では、東京版はもちろん、過去に世界各地で行われた合唱の映像を上映しています。
<関連リンク>
「MAMプロジェクト010展:テレルヴォ・カルレイネン+オリヴァー・コフ タ=カルレイネン」
会期:2009年11月28日(土)~2010年2月28日(日)