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哲学者エリー・デューリング氏が登壇した「トークセッション」を、建築家・柄沢祐輔氏がレポート

2018.2.14(水)

トークセッション 「プロトタイプとしてのアートについて考える―レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」

2018年1月20日、森美術館のオーディトリアムにてトークセッション「プロトタイプとしてのアートについて考える:レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」が開催された。モデレーターは、本展「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」のキュレーターを務めた椿玲子、また出展作家のレアンドロ・エルリッヒ本人も飛び入りで参加した。プロトタイプとしてのアートという概念は、フランスの哲学者、エリー・デューリングによるものである。エリー・デューリングは今日のフランスを代表する若手の哲学者であり、2009年に彼が発表した「プロトタイプ論」は世界的に大きな注目を集め、今日の現代美術の世界においてもっとも重要な理論の一つとして、さまざまなアーティスト、キュレーター、批評家によって広く参照されるものとなっている。そのエリー・デューリングが来日し、本展のためにレアンドロ・エルリッヒの作品をプロトタイプ論の視点から眺めるという特別なトークセッションが開催されたのだ。果たしてエリー・デューリングの視点から、レアンドロ・エルリッヒの作品はどのように解釈されるのか。美術ファンならずとも、否応なしに期待が高まることだろう。ここでは当日のトークセッションでどのような議論が展開したのか、簡単に振り返ってみたい。

トークセッション 「プロトタイプとしてのアートについて考える―レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」
エリー・デューリング氏

トークセッションは、まずエリー・デューリングによるプロトタイプ論のダイジェスト的な説明から始まった。プロトタイプ論は、プロセスを中断し、プロジェクトとオブジェクトの中間を指し示すことが強調された。一般に、今日広く流布している美術理論においては、芸術とは無限のプロセス(開かれたプロセス)であり、そこでは作品を生み出すことよりも、その作品が生み出される過程こそが重要であるという議論がしばしなされる。このような立場においては作品(オブジェクト)自体は副次的な意味しか持たなくなり、極端な場合には省略されることもある。エリー・デューリングのプロトタイプ論の根幹は、このような立場に批判を投げかけると同時に、無限のプロセスとオブジェクトの中間を、「プロトタイプ」として定義し、ふたたびオブジェクトの価値を新しい位相の下に指し示すことに向けられている。そして、「プロトタイプ」として新しく定義されたオブジェクトは、それが無限に続くプロセスでもなく、また近代芸術に広く見られる完結したオブジェクトとも異なり、単一のオブジェクトでありながらも、そこからさまざまな可能性が派生してゆく、いわば無限のネットワークが派生する起点としてのオブジェクトという側面を強く持っている。

トークセッション 「プロトタイプとしてのアートについて考える―レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」

このプロトタイプとしてのオブジェクトという側面が、レアンドロ・エルリッヒの作品に強く立ち現れていることは、おそらく誰の目にも明白だろう。エリー・デューリングは、このレアンドロ・エルリッヒの作品におけるプロトタイプとしての側面を、構造主義者のロラン・バルトの語るホモロジー(相同性)の概念を引用しながら「一つの空間(実空間)と虚像の空間(ヴァ―チュアルな空間)が錯綜しつつ重ね合わされた末に「第三の空間(The Third Space)」が立ち現れる」特異な作品であると述べた。構造主義においては相同性の概念が重視され、ひとつのものからさまざまなものが派生してゆく原理として語られるが、エリー・デューリングのプロトタイプ論においても、ひとつのオブジェクト=空間から、さまざまなオブジェクト=空間の可能性が派生的に(それこそ無限のネットワーク的に)生み出されることが示唆される。レアンドロ・エルリッヒの作品を体験すると、そこでは一つの空間がまず作品として定義されているが、そこに鏡や映像などを駆使してヴァ―チュアルな虚像の空間が重ね合わされることによって、結果としてそれまでの空間とも、またヴァ―チュアルな空間とも異なる、まったく新しい「第三の空間」が生み出されるという経験を、私たちはつとに体験することだろう。この「第三の空間」を生み出すという事実が、まさにレアンドロ・エルリッヒの作品が「プロトタイプ」に他ならないということであり、実空間と虚像の空間がめくるめく錯綜してゆく末に「第三の空間」が立ち上がってゆくことによって、現実の見え方が変化を遂げてゆき、私たちの身の回りの空間が、まったく異質のものへと変化を遂げてゆくダイナミックな経験こそが、レアンドロ・エルリッヒの作品の本質なのだということを、エリー・デューリングは見事に明らかにし得たのではないかと思う。事実、トークセッションの最後に用意されたレアンドロ・エルリッヒ本人との対話の際に、レアンドロ・エルリッヒはエリー・デューリングのレクチャーに対して「あなたのような人が現れるのを待っていた」と感想を漏らした。おそらくは作家本人にとって、エリー・デューリングによる作品の分析は、これまでにこの作家になされた膨大な批評の中でも、特に正鵠を得たものであったに違いない。また互いに近い世代であるということに、親近感を覚えていたようだった。

トークセッション 「プロトタイプとしてのアートについて考える―レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」
レアンドロ・エルリッヒ本人も飛び入りで参加
トークセッション 「プロトタイプとしてのアートについて考える―レアンドロ・エルリッヒ作品を通して」
デューリング氏、エルリッヒ氏、椿玲子(森美術館キュレーター)によるディスカッションの様子

今日、ふたたびオブジェクトとしての作品を、しかし近代の完結したオブジェクトとしてではない形で生み出すことが、美術の世界では求められている。レアンドロ・エルリッヒの作品は、そのような全く新しいオブジェクトとしての作品のあり方を、「プロトタイプ」として指し示し、さまざまな形で立ち上げている。エリー・デューリングによる今回のトークセッションは、今日の美術におけるもっとも先鋭的な試みが、レアンドロ・エルリッヒによって探求されていることを、わたしたちに強く実感させるものだったと言えるだろう。

文:柄沢祐輔(建築家)
撮影:田山達之

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