作家名 | : | 米田知子/Yoneda Tomoko(1965-) |
---|---|---|
出身/在住 | : | 日本 |
制作年 | : | 1998 |
素材 | : | ゼラチン・シルバー・プリント |
サイズ | : | 120×120 cm |
米田知子は1991年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで写真の修士課程を修了。その後も同地を拠点に写真作品を制作する。目に見えない、ある場所やものにまつわる記憶や歴史を主題に、念入りなリサーチを行い、歴史的真実の探求というジャーナリスティックな視点も交えて世界各地で撮影を行う。例えば、代表的シリーズの「シーン」(2000-)では、戦場跡や震災の被災地、政治的事件の起きた場所など歴史的な記憶が残る場所を訪れ、その場の現在の姿を撮影した。米田の作品は、本来写真が表象するはずの戦争や権力といった主題が直接的に描かれないがゆえに、観者の想像力を掻き立てる。そして、われわれの目にする人やものに、不可視の意味があり得ることを思い出させてくれるのである。2007年のベネチア・ビエンナーレ、2018年の上海ビエンナーレなど国際展にも参加している。
「見えるものと見えないもののあいだ」(1998-)は米田の代表的シリーズのひとつで、ジークムント・フロイトや谷崎潤一郎など歴史に大きく翻弄された近現代の知識人が実際に使用していた眼鏡と、彼らにゆかりある文章や写真・楽譜などを組み合わせてモノクロ写真に収めたもの。作家は、「当時の歴史背景や生活の一部を垣間見、そこで葛藤する彼らの精神を表現することを試みた」*と述べる。例えば《フロイトの眼鏡―ユングのテキストを見るⅡ》は、ロンドンのフロイト博物館所蔵の眼鏡を通して、自身の弟子でありながら後に決別したカール・ユングのテキストを写した作品である。この著作はユングがフロイトの「リビドー論」を批判したものだが、フロイトは弟子から贈呈されたこのテキストをどのような気持ちで読んだのかと、われわれは思いをめぐらせることになる。
* 作家による作品解説『終わりは始まり 米田知子』展カタログ(原美術館、2008年)、97頁。
作家名 | : | 米田知子/Yoneda Tomoko(1965-) |
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出身/在住 | : | 日本 |
制作年 | : | 1998 |
素材 | : | ゼラチン・シルバー・プリント |
サイズ | : | 120×120 cm |
米田知子は1991年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで写真の修士課程を修了。その後も同地を拠点に写真作品を制作する。目に見えない、ある場所やものにまつわる記憶や歴史を主題に、念入りなリサーチを行い、歴史的真実の探求というジャーナリスティックな視点も交えて世界各地で撮影を行う。例えば、代表的シリーズの「シーン」(2000-)では、戦場跡や震災の被災地、政治的事件の起きた場所など歴史的な記憶が残る場所を訪れ、その場の現在の姿を撮影した。米田の作品は、本来写真が表象するはずの戦争や権力といった主題が直接的に描かれないがゆえに、観者の想像力を掻き立てる。そして、われわれの目にする人やものに、不可視の意味があり得ることを思い出させてくれるのである。2007年のベネチア・ビエンナーレ、2018年の上海ビエンナーレなど国際展にも参加している。
「見えるものと見えないもののあいだ」(1998-)は米田の代表的シリーズのひとつで、ジークムント・フロイトや谷崎潤一郎など歴史に大きく翻弄された近現代の知識人が実際に使用していた眼鏡と、彼らにゆかりある文章や写真・楽譜などを組み合わせてモノクロ写真に収めたもの。作家は、「当時の歴史背景や生活の一部を垣間見、そこで葛藤する彼らの精神を表現することを試みた」*と述べる。例えば《フロイトの眼鏡―ユングのテキストを見るⅡ》は、ロンドンのフロイト博物館所蔵の眼鏡を通して、自身の弟子でありながら後に決別したカール・ユングのテキストを写した作品である。この著作はユングがフロイトの「リビドー論」を批判したものだが、フロイトは弟子から贈呈されたこのテキストをどのような気持ちで読んだのかと、われわれは思いをめぐらせることになる。
* 作家による作品解説『終わりは始まり 米田知子』展カタログ(原美術館、2008年)、97頁。