500人もの観客で埋め尽くされた会場を、ステージ上のスクリーンからじっと見下ろす二人の男。国籍も時代も異なることは明らかですが、なんだか威圧的な雰囲気が似ています。ひとりはマルセル・デュシャン。1910年代に活躍したアーティストで、現代美術の父とも呼ばれています。もうひとりは千利休。戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した、あまりにも有名な茶人です。一見、何の関係もなさそうなこの二人が、なぜ居心地悪そうにスクリーンに映し出されているのでしょう。その答えを知っていたのは、自らデュシャンピアン(マルセル・デュシャンに影響を受けた、または傾倒しているひとを指す)を公言する現代美術家の杉本博司さん、そして武者小路千家15代家元後嗣である千 宗屋さんでした。
トークセッション:杉本博司×千 宗屋
「千利休とマルセル・デュシャン|観念の錬金術」
会場風景
撮影:御厨慎一郎
にこやかにステージに登場した杉本さんと千さん、開口一番「この二人、意地悪そうな人相が似てるよねー」と。杉本さんが「芸術家に善人はいないんだよ。そういう人がもしいたらね、その人は二流だと思っていい!」と宣言。仲の良さそうなお二人の息の合ったやりとりが始まりました。
さて、デュシャンと利休、この二人の共通点ってなに?というのが本日のテーマ。ヒントは「価値の転換」(杉本さん曰く捏造!)ということにあるようです。まずは千さんが、利休という人物を象徴的に表すエピソードを教えてくれました。秀吉が、朝顔が庭に美しく咲いたと利休に呼ばれて行ってみると、咲いているはずの花は庭に一輪もありません。しかし招き入れられた茶室の中に、一輪だけ朝顔が入れられていた、というもの。利休は一度相手の期待を裏切ることで、花の美しさを際立たせてみせたのです。ここで千さんが「わび」についても少し解説してくれました。「何もないのがわびだと思っている人がいるけれど、そうではないのです。あるものを削っていく。あるものから削って削って、そこに残ったものがわびなのです。ないところからスタートするわけではないのです。」利休はそれまで価値が高いとされていた唐物などの舶来品ではなく、日常使いの道具を好みました。決してお茶席で人目にふれることなどなかった桶や魚籠などに少し手を加えることで茶道具に仕立て、その価値を高めたり、竹を切っただけのものを花入として使用しました。寵愛を受けていた秀吉との間に価値観の相違が生まれ、ついには切腹を命じられた利休ですが、その罪状にはほとんど無価値のものに謂れのない価値をつけて人々をだましたというのもあるそう。
こうして改めて利休のお話を伺っていると、どこかで聞いたことのあるような気がしてきました。日常的に使用される既製品の有用性を奪い、サインを施すことで美術の文脈へと持ち込んだマルセル・デュシャンに、なるほどどこか似ています。彼の行為は美術館や展覧会、それに関わる人々に対する「価値ってなんなの?作家のサインがしてあればアート?」という強烈な皮肉でもあるし、それまでの「芸術品はアーティストの手作業による一点もの!」というイデオロギーに完全に反しています。そんなデュシャンと、遠く時空を隔てた利休との間に、その時代の固定観念や常識を覆してものの持つ意味をひっくり返した、という共通点があったのです。しかも現代美術の父であるデュシャンから遡ることなんと400年!日本にすでに「価値の転換」を行っている人物がいたなんて、ちょっとすごいよね、とお二人。杉本さんの言葉を借りれば、「デュシャンは、これアートですよ、何か?と言って、利休は、これ花入ですよ、何か?と言った」というわけです。
「今冥土」の石碑が置かれた、NYにある杉本さんのお茶室
そこで見せていただいたのが、デュシャンと利休をつなぐような杉本さんのNYのお茶室。ビルの最上階に位置するスタジオの中には日本の露地が再現されていて、お茶室へたどり着くまでの足元にはなんと苔まで!杉本さんいわく「スタッフの絶え間ない努力の賜物」だそうです。伝統的な美しさと、現代的なユーモアが見事に調和しているお茶室の名前は「今冥土(いまめいど)」。生きながらにして冥土にいるようなもんだ!というコンセプトの他に、デュシャンの「レディ・メイド」とかけています。駄洒落?そう、実は杉本さんと千さんの少しねじれたユーモアがとってもおかしくて、トークの間会場には何度も笑いが起こっていたのでした。続いてデュシャンの墓石に刻まれている「されど、死ぬのはいつも他人」という言葉が、禅僧の遺言である遺偈(ゆいげ)っぽい、という話題から杉本さん直筆の遺偈を見せていただきました。ユーモアにあふれた「別無工夫」(別に工夫無し)や、「日々是口実」(好日とかけています。)など、杉本さんの解説にみなさん声を出して笑っていました。さらにデュシャンの有名な「答えはない、なぜなら問題が存在しないからだ。」という言葉も遺偈風に「無答無問」とアレンジ。その後の質疑応答でも「茶の湯やアートを楽しむコツは?」の質問に高々と「別無工夫」を掲げて笑いをとる杉本さん。しかし、その後「新しい価値観を探すこと」「意識の変革のきっかけである。」と、今日のお話に通じるお答えをいただきました。
対談を通じて、既存の価値に満足せず、常に新しい視線や意味を見出そうとする態度こそが、芸術や文化を今日まで継続させているのだと改めて感じました。しかし、「価値の転換」というあまりにも大きな「呪い」が現代美術にも茶の湯にもかかっていると杉本さん。千さんは「茶は人とちがうことをするのが茶。だけどお稽古では、まずきちんと基本を学ばないとどうしようもない。前衛にいたるまでの古典の学習も非常に重要だと思います。」とお話されていました。他にも杉本さんのレディ・メイド作品(開催中の横浜トリエンナーレにも出品中)や、千さんによる唐物と比較した利休道具の紹介など、盛りだくさんの内容で対談は終了。デュシャンと利休が現代によみがえったかのようなお二人、最後にはお笑いコンビ結成?なんていう冗談も飛び出しました。お二人なら、きっと先人の残した偉大な「呪い」を解いてくれるのではないかと予感したのでした。
熊倉晴子(森美術館学芸部 アシスタント)
<関連リンク>
・フレンチ・ウィンドウ展:デュシャン賞にみるフランス現代美術の最前線
会期:2010年3月26日(土)~8月28日(日)
会場:森美術館
・森美術館flickr(フリッカー)
トークセッション:杉本博司×千 宗屋 「千利休とマルセル・デュシャン|観念の錬金術」