2010年7月 9日(金)

アートが果たせる役割とは?~レクチャー「社会とアートの交差点:社会と対峙するアーティストたち」


作家3人の活動紹介から始まりました

大きな社会の変動を迎えた今、アートが果たせる役割とは何でしょうか。「社会への言及」がテーマの1つである「六本木クロッシング2010展」。街のあちこちに作品を展示し、近隣の方々にご協力いただくという点で社会的な側面をもっている「六本木アートナイト2010」。参加作家の青山悟さん、卯城竜太さん、藤浩志さんとキュレーターの窪田研二さんが、アートを通した社会との関わりについて語りました。

青山 悟
トップバッターは、工業用ミシンを使って緻密な刺繍の作品を制作している青山さん。作品の裏側にある圧倒的な労働力(50cmの作品を仕上げるのに2~3ヶ月かかるそうです!)と、「ジェンダー」「労働」「テクノロジーとの関係性」という主題について、"The Sewing Machine"というミュージカル映像を交えながら自作を紹介してくれました。
「ミシンを使うという行為には、ひとつにはジェンダー、もうひとつには労働の問題が絡み合っています。さらにはテクノロジーとの関係性。一番古いテクノロジーをミシンとするならば、それとインターネットなど現在のテクノロジーとの関係性に興味があります」

そんな青山さんですが、以前はポートレートやランドスケープを主題に、自己言及的な作品を制作していました。
「徹底してスタジオの中のみで作品を作ったので、まったく社会性を持ち得なかったと言っていいと思います」
このような閉じられた状況が反動となり、社会との関わりを積極的に持つようになったとのこと。これがきっかけとなり、アーツ・アンド・クラフツ運動の代表的存在であったウィリアム・モリスの労働への思想を参照し、制作を続けています。

Chim↑Pom
卓越したアイデアとユーモアで、次々と作品をつくりあげていくアーティスト集団Chim↑Pom。普段は6人で活動していますが、今回はリーダーの卯城竜太さんが、これまでの代表作から、アジア・アート・アワード・フォーラム(4月に韓国にて開催)に出品した最新作までを紹介しました。
なかでも社会的に物議を醸した《ヒロシマの空をピカッとさせる》(2008)についての話は、レクチャー参加者は真剣に耳を傾けていたようです。広島の原爆ドームの上空に、飛行機雲で「ピカッ」という文字を描いた事が騒動になった件で、批判を受け止めると同時に、効果音で状況を説明する漫画的表現が、自分たちの生きる世界の、リアルで平和な光景なのではないかとのことでした。

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卯城さん(左)と藤さん(右)

藤 浩志
最後のプレゼンターは、「六本木アートナイト2010」に参加した藤浩志さんです。
藤さんは常に社会との関わりから作品を制作してきました。それは「周りとの接点がない」という危機感が根源にあり、社会の中に自分を存在させるために関係性をつくっていく、その手法としてアートを使用しています。
「社会というものを意識し、つながりたいと思う作家がいるとすれば、それは自分の中に"社会"というものが存在しないということから始まっているのではないか」
と語る藤さんは、社会との接点をどう作っていくのかに興味を持っているといいます。
「六本木アートナイト2010」では、藤さん考案の、いらなくなったおもちゃを交換する「かえっこ」というシステムで集まったおもちゃを使い、オブジェを制作して街に展示しました。この夏に開催される「瀬戸内芸術祭」でも、関係性を主題とした新作を制作するそうです。

ディスカッション
プレゼンテーションの後は、本展共同キュレーターである窪田研二さんを交えてのディスカッションがおこなわれました。ここではその一部を紹介します。

まずは「表現」と「作品化」について。口火を切ったのは卯城さんです。Chim↑Pomは、見に来てくれる人へのサービス精神を常に意識して、作品を発表しているとのこと。
「映画祭に呼ばれた場合は、映画好きな人がおもしろく見れるように映画をつくります。美術館では美術館に来るお客さんが楽しめるように。」
一方で、藤さん曰く
「行為や表現と、作品化することは違う。作品化には編集能力が必要です」
インターネットを筆頭に、個人の表現を作品化し発表するシステムがたくさん出来上がってきたこの10年。アートは常に時代のシステムに合わせて順応してきたのではないかといいます。例えば、本展に出品しているダムタイプは、演劇祭というシステムがあったからこそ、それに対する戦略を構築して生まれたグループではないかと分析していました。表現力と作品化はイコールではない。非常に興味深い議論です。

さらには、作家と社会と作品の関係性を巡る議論です。卯城さんは
「自分が社会と関係して生まれたこどもが作品で、こどもは自分たちの手を離れて社会に育てられていく」
と語ります。
一方で、「順調に遺伝子は引き継がれていくものの、生まれてくるものが突然変異であってほしい。その突然変異を許容しようとする社会は進化のきっかけを得られるはずだし、そういう社会には信頼感がある」。またその反面、「今の社会ではそのようなものを生み出そうとする人間は、孤立を余儀なくされる事がある。それは寂しい事だと思う。」、とのことでした。
ほかにも、ストリートアートが美術館というシステムの中で展示されること、漫画のような複製可能なメディアとアートについてなど、様々な切り口から展覧会と作品にアプローチしてもらいました。

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青山さん(左)と窪田さん(右)

最後に、参加者から「芸術は可能か?」との問いを受けたみなさん。それぞれのお答えは――「可能 by エリイちゃん」(卯城さん)、「可能だと思うからアーティストをしているし、この展覧会に参加しました。ただ、不可能を感じないことには可能性を見出せないのではないのか」(青山さん)、「社会に芸術とカテゴライズされたものはもう終わっている。価値化されていないもの、有象無象の中から可能性が出てくる」(藤さん)、「アートと社会の色々な問題がクロスジャンルしている中に芸術の可能性があるのではないか」(窪田さん)―――とのことでした。
本展の出発点である古橋悌二さんの「芸術は可能か?」という問い。なぜ古橋さんはこの問いを投げかけたのでしょうか。藤さんのコメントが、強く印象に残りました。
「不可能性を感じている中、『可能か?』と問うことによって、(古橋さんは)自分の意思をその問いにのせていたのではないだろうか」
問いは、芸術を可能にしたいという意思の表明であり、そこに芸術の可能性があるように思えてなりません。

<関連リンク>
作家の素顔に迫る!「六本木クロッシング2010展」インタビューこぼれ話(1)

作家の素顔に迫る!「六本木クロッシング2010展」インタビューこぼれ話(2)

「六本木クロッシング2010展:芸術は可能か?」
会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)

カテゴリー:03.活動レポート
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