栗林 隆 《沼地》 2008 ミクスト・メディア 349×569×415cm
制作風景:十和田市現代美術館、2008 年 Photo: Nakajima Kazumi
今回は、今展の企画を担当したキューレーターの片岡真実に自然観についてもう一歩踏み込んで語ってもらいます。前回は、今展を通して日本の自然知覚力を喚起し、自然観を再考することが、アートの世界的動向という文脈の中で日本の再定義にも繋がる可能性を持つというお話でした。
--地球温暖化や気候変動の中、環境問題は人類の生存をかけた切実なテーマですね。でも、日本は環境問題以前に自然と共生する在り方を心得ていた。伝統文化を見ても、四季折々の花鳥風月を愛で自然を取り入れるなど、自然と共生する生き方がそのまま美術表現に現われています。ご自身は日本の自然観をどのように捉えていますか?
片岡:皆が共有していると思っているはずの「自然」の概念は、実はさまざまで、だからこそ今、再考してみる必要があると思うんです。私たちがいう「自然(しぜん)」は19世紀末に輸入されたNatureの訳語として採用されましたが、日本にはもともと自然(じねん)という考え方があって、「自ずから然(しか)らしむ」、「あるがままの状態」を意味します。これは「無為自然」に起源をもつ親鸞や道元などの仏教的な思想から来ています。Natureの訳語としての「自然」も、日本では人間と対抗する野生や原生林といった自然ではなく、人間もその一部である森羅万象、天地万物すべてを包含するより広い対象を指しているといえます。
篠田太郎 《残響》 2010 ヴィデオ(11 分)
--西洋的「自然」(しぜん)と東洋的「自然」(じねん)の違いはどこからきていると思いますか?
片岡:キリスト教的世界観の中で育まれた「自然」(しぜん)は、人間が制御すべき野生であり、天地創造をした唯一神としての神からその役割を人間が委ねられている、人間中心の考え方です。古来から四季の変化もあった日本では、現在の神道成立以前にもアニミズムや自然崇拝などの古神道があり、森羅万象に神々や霊性を重ねあわせていて、人間はそれらを制する立場にはなかったと考えられます。
昨年、伊勢神宮の境内を歩き、太陽の神の天照大神を筆頭に、風の神、大地の神など八百万の神と夥しい神様たちが、自然現象の神として拝まれてきたことを、すがすがしさとともに体感しました。日本人は、春には風の匂いや新しい光を体で感じるなど、四季の変化や自然現象に神を見て、それらを理論や科学を超えて体感的、感覚的に捉えてきました。仏教や西洋の宇宙観が輸入された後も、それらは古来の宗教観と常に融合され、独自の文化や芸術を育んできたと思うんです。自然の空間に何らかの生命を感じていたことは、目に見えない霊魂(アニマ)に形や名前が与えられて妖怪の存在が受け入れられてきたことからも伝わって来ます。現在、日本の代表的な文化とされる漫画やアニメーションは自然観の賜物といえると思います。
--西洋的な「自然」(しぜん)の概念が入ってきた19世紀末頃から、日本は急速に欧米化を進め、森羅万象の自然や「自然」(じねん)が忘れられたのでしょうか?
片岡:近代化の過程で日本は西欧文化に撹拌されたものの、バブルの崩壊後の20年間で、国際競争力も弱まる中、この小さい島国のあるがままの姿、自然(じねん)の状態に戻ろうとしているのではないかとも感じています。地方の「道の駅」なんか見ても思うんですけれど、自分の気候や土壌にあった美しいものや美味しいものを再発見し、もともと自分たちの中に自然にあったものに回帰しようとしているのだと思います。
--自然(じねん)という自然観は日本の美術でどのように現われているのでしょうか?
片岡:自然(じねん)や日本的な自然観を、自然界の木々や草花ではなく、それらを繋ぐ空間に存在するエネルギーやバイブレーションのようなものだと考えれば、それは、伝統的な絵画、建築、造園、芸能だけではなく、戦後の、例えばもの派のような美術の動向の根幹にも関わっていると思っています。作家たちは、自然と人工物や人間との関係性、間柄、自然と抽象化された自然あるいは非自然の間の緊張感、森羅万象に宿る超自然的なエネルギーを意識した空間構成などを表現してきました。
インタビューに答える片岡
--今展は現代作家3人の作品で構成されていますが、それはどうしてでしょうか?
片岡:20人くらいの作家を集めて、自然観を歴史的に追う展覧会のやり方もありましたが、作家が感覚を通して知覚している自然観をそのまま観客の体験へと置き換えてもらいたかった。そのために各作家が十分なスケール感を持ったインスタレーションができるように作家数を限定しました。そこから、私たちの無意識の領域で継承されているような日本の自然観の本質が喚起されればと考えています。
--吉岡徳仁、篠田太郎、栗林 隆の3人は60年代生まれの国際的に活躍している作家たちですね?彼らを選んだ理由はなんですか?
片岡:彼らは、雪、水、風、光、星、山、滝、森といった自然現象や非物質的あるいは不定形の存在を捉え、それらを抽象化し、作品に象徴的に投影しています。彼らの自然観は、人為と対抗する自然としてのネイチャーよりも、むしろこれまで語ってきたような日本の自然観、人間を含む森羅万象、天地万物から宇宙とも連続した感覚を共有しています。そのような自然観が現代の私たちの記憶や遺伝子に脈々と継承されていることを示唆していると思います。
《次回 第3回「作家が紡ぎ出す、抽象化された自然のインスタレーション」へ続く》
(聞き手:玉重佐知子)
【玉重佐知子プロフィール】
文化ジャーナリスト。早稲田大学卒。1988年渡英、ロンドンで西洋美術史、映画文化人類学を学んだ後、ロンドンを拠点にNHKやBBCなどのドキュメンタリー番組制作に関わる一方、美術、建築、デザインについて、アエラ、日経アーキテクチャー、BT(美術手帖)、Blue Print他に執筆。英国や日本の文化政策や文化を起爆剤にした地域振興戦略を追っている。書籍「Creative City アート戦略EU•日本のクリエイティブシティー」(国際交流基金/鹿島出版会)の一部執筆。
<関連リンク>
・連載インタビュー:ネイチャー・センス展を目前に(全4回)
第1回 日本の自然観を再考し、日本固有の文化を紐解く
第2回 「自然(しぜん)から「自然(じねん)」へ
第3回 「作家が紡ぎ出す、抽象化された自然のインスタレーション
第4回 「ネイチャー•センス」喚起!見えてくる日本のカタチ
・「ネイチャー・センス展: 吉岡徳仁、篠田太郎、栗林 隆
日本の自然知覚力を考える3人のインスタレーション日本の自然知覚力を再考する」
会期:2010年7月24日(土)~11月7日(日)