展示プランを考える八幡さん(2009年2月9日森美術館にて)
「六本木クロッシング2010展」出展アーティスト最年少の八幡亜樹さんは、 現在東京藝術大学大学院在籍中の24歳。代表作の映像作品《ミチコ教会》(2008年)を、今までとは違った形で展示します。展示プランの打ち合わせのために来館した八幡さんに、構想中のアイデアを伺いました。
――森美術館の大きなスペースをどう意識していますか?
八幡:ちょうど打ち合わせでも動線の話をしていたんですが、隣の作品がちゃんと見えてくるような動線ですよね。今まで《ミチコ教会》はこぢんまりとした空間を、閉鎖的ではないけれど、ぎゅっと凝縮した感じでやっていました。ここでは、凝縮はしているけれどもっと隣の作品に開けてつながる方が合っているのかな。いつもはごちゃごちゃ小物とかを置いたりしていたんですが、細かいものを観るというよりも、もっとダイレクトに映像や空間を感じるというような感 じになるのかな、と思います。与えられたスペースの広さもあるし。
八幡亜樹
《ミチコ教会》
2008年
ヴィデオ・インスタレーション
――《ミチコ教会》は「金沢アートプラットホーム 2008」でも展示されていましたが、それとは違ったものになりますか?
場所が全然違うので・・・。「金沢アートプラットホーム 2008」では、順繰りその世界に入っていくみたいな、ある程度"道"がある展示だった。今回はどうやればある程度" 凝縮される"というか、散漫にならずにできるかな、と考えています。
――森美術館は、平日に平均2,000人以上の方々が来館します。観光客も多く年齢層も幅広い。多くの観客に観てもらうことを環境を意識していますか?
八幡:あまり考えてないし、意識してなかったです。でも「美術作品を作っています」という意識があまり無いので、展望台のついで・・・というような人たちに観てもらうのは自然だし、いいな、と思いますね。
――「美術作品を作っています」という意識が無い?
八幡:何をやっているんだろう?「美術作品を作っています」というより、「日常相手に遊んだり戦ったり」しているという感覚が近い。その感覚って、普通の人達に見てもらうことで、もっと自然に浸透していくような気がします。私には<魔法>というキーワードがあるんですが、それが広がっていくように思います。ただ、美術だから自分がやりたい事が可能になっている実感はあるのですが。
――<魔法>とは?
八幡:簡単には説明できないのですが(笑)。私は"物"が「魔法」との距離を近づけるものだと思っています。それを疑うことで日常の中にある<魔法>を何らかの方法によって捉えられるのではないかと考えています。これは私がサンタクロースからプレゼントをもらっていた経験からなんです。その後、いわゆる「魔法」から醒めてしまっても、その感触とか手触り、"物"は残るじゃないですか。じゃあ、「魔法」はどこに行ったのか?それを知覚させた"物"が残っ ている限りどこかにあるはず、そう考えながら日常に迫っていくんです。
――<魔法>とは、本来無いものを体験したということ?
八幡:「ない」というのではなくて、「魔法」に感触があったんだということが私にとって重要。自分の経験から、例えば《ミチコ教会》のミチコさんの生活している場所に<魔法>を感じることがある。ある意味、<魔法>は私の日常での感覚器官で、それを頼りに日常に迫っていく。
森美術館スタッフと打ち合わせ中
――将来の展望のような、「今後こうなったらいいな」、と目指す方向はありますか?
八幡:展望は、今の自分が思っているキーワードのピンとこない状態を、作品を通してピンとくるようにしたい。もう一つのキーワードに、<日常の予告編>を作りたいっていうのがあるんです。<予告編>ってずっとドキドキしてられるじゃないですか、本編よりも。<日常の予告編>を作れたら、みんなずっとドキドキしてられるのになあ、と思っています。自分の中で、 新しく開かれた意味の<予告編>みたいなものがあって。昔、本編のない<予告編>を作ったことがあったんです。スチール写真なんですけど、その時に「<予告編>だけでもいいじゃん」って。「<日常の予告編>だけ作ったら楽しそう」って思って(笑)。それが目指す方向です。
――<日常の予告編>とは?
八幡:<予告編ドーナツ>って言うのもあるんです。<予告編>が丸く連なると真ん中に穴ができるじゃないですか。そこには何も無いけれど、<予告編>によってかたどられた輪郭はある。そういう存在が<日常の予告編>の先にあると思ってて、<予告編>は<魔法>の輪郭をつくるものかもしれないと。ここに<魔法>が関わってくるんですけど・・・。
八幡:<日常の予告編>は、小さなものから大きなものまである。例えば、小さな使い古したフライパン。それって何かの、誰かの小さな<日常の予告編>として捕らえられるんじゃないかなと思ってます。紡いでいってできあがる時間軸があるものもひとつの<予告編>。解 りづらいかもしれないけれど<魔法>や<予告編>は自分の感覚器官に頼ったものなので、後から言葉を考えることがあるんです。私はその感覚で、面白い人や事といった<予告>させられるものに出会っていく感じですね。
――いわゆる映画などの予告編は、意識的に面白く見せようとして編集するため、本編とイメージが大きく異なる場合がありますが、八幡さんの<予告編>はそれとは違いますね。
八幡:<日常の予告編>の先にはひとつの本編、つまり日常があって、<予告編>にはそれを想起させるシンボリックな要素が無ければつまらない。例えばただそこら辺にある新品のフライパンより、使い込んでるフライパンの方が、ドキドキ感やパワーがある。それを選んでいくのは他の誰でも無く私がやる作業で、意識して面白く見せようと作る点では違わないと思います 。
インタビュー中も、しばし考え、言葉を選びながら答えていた表情が印象的でした。今回の展示では、八幡さんのキーワードはどう表現されるのでしょうか。展覧会をどうぞお楽しみに!
写真撮影:御厨慎一郎
【八幡亜樹 プロフィール】
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程在籍中(2010年3月現在)。現実かフィクションかわからないトーンで、日常をドキュメンタリー・スタイルで 作品を展開。《ミチコ教会》(2008)は、先立った夫と共に生活をしてきた簡素な山小屋を教会として営んでいる老女の、山を下りるかどうかの葛藤を描いた物語。人間の悲哀・喜び・儚さなどの要素が詰まったこの作品は、もう1つの日常や生き方、生きざまというものを浮き彫りにしている。
<関連リンク>
・ 森美術館flickr(フリッカー)
八幡さんの展示プラン打ち合わせ風景がご覧いただけます
・「六本木クロッシング2010展」
会期:2010年3月20日(土)~7月4日(日)