森美術館「カタストロフと美術のちから展」
プレ・ディスカッション・シリーズ 第4回
「フクシマ2011-2018」開催レポート
2018.5.30(水)
2018年3月11日、東京・六本木のアカデミーヒルズで「フクシマ2011-2018」と題したディスカッションが開かれた。本ディスカッションは、本年10月6日より森美術館で開催される「カタストロフと美術のちから展」の関連プログラムで、展覧会で扱うテーマについて、より一層議論を深めるべく、全5回にわたってプレ・シリーズとして開催するものである(展覧会とプログラムの詳細については、第3回のレポートを参照ください)。
登壇者は、アーティスト集団Chim↑Pomのメンバー卯城竜太と福島県立博物館主任学芸員の小林めぐみ、本展企画者で森美術館キュレーターの近藤健一の3名。東日本大震災から7年目を迎えるにあたり、震災直後から現在までの活動や、福島をめぐる状況の変化などについて意見を交わした。
ディスカッションは2部構成。前半は、それぞれ20分ずつのプレゼンテーションを行い、後半ではプレゼンを受けて登壇者全員でディスカッションを行った。
最初に登壇した近藤は、震災後、被災者支援や早期復興、反原発など様々な視点で福島を主題にした作品が国内外のアーティストによって制作されたことを受け、それらを網羅的に紹介した。
震災後すぐの動きとして紹介されたのは、「カタストロフと美術のちから」展の出展作品であるChim↑Pomの《REAL TIMES》(2011)と、加藤翼の《11.3プロジェクト》(2011)。《REAL TIMES》は、震災1カ月後の4月11日に福島第一原発から約700メートルの距離に位置する東京電力敷地内の展望台で撮影した映像作品で、近藤はChim↑Pomを「震災に最も早く反応して活動をはじめた現代美術のアーティストの一組」と評した。《11.3プロジェクト》は、福島県いわき市平豊間地区のシンボルで、津波で被災した灯台を模した8トンもの構造物を、地元の人や外から来た人々と共に引き興したプロジェクト。被災地にボランティアに入ったアーティストが地元の人々と知り合い実現したものである。
国外の作家による作品では、事故後の福島第一原発の制御室内を紙で精巧に再現して撮影したトーマス・デマンドの《制御室》(2011)や、ロンドンを拠点に活動するオトリス・グループによる、核や原発事故に関するニュース映像や記録映像などで再構成した映像作品《The Radiant(放射されるもの)》(2012)が紹介された。
その他にも、2012年に水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された展覧会「3.11とアーティスト:進行形の記録」や、奈良美智のドローイング作品《NO NUKES》(1998)が、作家了承のもと反原発デモのプラカードとして使用された事例、ロンドンのアートフェアで福島県産野菜で作ったスープを振る舞い賛否両論を呼んだ、UNITED BROTHERSによる《Does This Soup Taste Ambivalent?(このスープ、アンビバレントな味がする?)》(2014)など、様々な事例が紹介された。
近藤健一(森美術館キュレーター)
続いて登壇した卯城は、福島県相馬市で知り合った若者たちと100連発の気合いを入れる様子を収めた映像作品《気合い100連発》(2011)、渋谷駅にある岡本太郎の壁画《明日の神話》の空白に、福島第一原発事故を描いた絵をゲリラ設置した《Level7. feat.明日の神話》(2011)など、いずれも震災直後から制作された作品群を制作の背景を交えながら紹介した。前述の《REAL TIMES》を制作した背景には、「本当のことが分からない」というフラストレーションがあったという。
これらの作品を「REAL TIMES」展として2011年に発表した後、福島に通う中で立ち上がったのが、現在も継続中の展覧会《Don’t Follow The Wind》(以下、DFW)である。Chim↑Pomら3組のキュレーターが国内外12組のアーティストを招聘し、原発事故によって生じた帰還困難区域内の住民から借りた物件で展示を行う国際展で、2015年3月11日に会期が始まったが、2018年3月現在、一般の観客が見にいくことはできない。現在は360度ビデオのヘッドセットを用いて、国内外の美術展などでプロジェクトを紹介している。
Chim↑Pomの卯城竜太氏
卯城は、福島への訪問を重ねる中で「ものすごく長期なリアルタイムが始まっている」という印象を持つようになったと言い、DFW初発の動機として「封鎖が解けるまでの長い時間を、展覧会を通して地元の人たちと共有したい」という思いがあったと述べた。また、震災とそれに関する自身のプロジェクトについて「年々話す“角度”が難しくなってきている」と現在の心境も吐露。震災直後は展覧会の自粛など、世間がシリアス一辺倒な雰囲気に覆われる中、思い切ってユーモアをぶつけることで「負け戦を挑めるような」モチベーションがあったが、現在は「ユーモアが関連しづらく、かといって突破するのに分厚い壁があるわけでもない」と、実感を述べた。
最後に登壇した小林は、2012年より取り組む「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」を中心に、震災後の福島県内の状況や、被災地域の博物館としての取り組みを紹介した。
小林はまず、「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」のロゴを示し、福島の地理を解説。青、黄、赤の3色に塗り分けられた3つのエリアを1本の曲線が緩やかにつなぐロゴは、浜通り、中通り、会津という、異なる文化をもつ3地域からなる福島の地理的特性を表したもので、この特性が福島の文化の多様性を生むと同時に、震災の受け止め方の違いにもつながっていると説明した。
本プロジェクトを立ち上げる背景には、県内における震災の捉え方の違いだけでなく、福島を“汚染された土地”とする県外、国外からの視点があったとして、せめて県内でつながることができないか、文化ならばそれが可能なのではないかとの思いが強くあったという。プロジェクトを進めるうえで土台となったのが、2010年から同館が始めた「会津・漆の芸術祭」で、同祭でアーティストと協働した経験が大きな財産となった。
小林めぐみ氏(福島県立博物館主任学芸員)
プロジェクトのコンセプトはふたつ。「福島の文化を再発見し、伝えること」と「福島が直面する課題を共有し、みなさんと考える場を生み出すこと」。これらのコンセプトのもとに、被災地や避難先の学校を作家が訪れ、子供たちの想像力・創造力を養うプロジェクト、津波の爪あとや復興に向けた除染作業の過程で失われていくものをフロッタージュ(刷り出し)の技法によって記録する美術家・岡部昌生のプロジェクト、撮影過程で地域住民との連携を図った「福島写真美術館プロジェクト」などが展開された。
近年では飯舘村の除染現場や試験農場などを視察するツアーを行ったほか、「アートで伝える考える福島の今、未来展」と題した成果展を県外各地で開催。実際に現地を案内したり、プロジェクトで生まれた作品を通して福島県外の人と対話することで、大震災と原発事故の記憶を今一度共有した。
続く討議では、前半のプレゼンから発展して、震災の風化・忘却、復興における喪失、福島に対する語りにくさの問題などについて議論が展開された。
風化や忘却の問題について近藤は、本展の企画意図として忘却に対する抵抗、議論の喚起があると述べたのに対し、卯城は、風化に抗うと声高に言うことが押し付けがましく感ぜられる空気が生まれており、メディアが風化に抗うというパッケージをすればするほど人々の心が離れていく矛盾が起きていると指摘。一方で小林は、現在は忘却という二次災害が起きており、忘却によって社会が良い方向に変化する可能性が失われかけていることも福島のカタストロフと言えるのではないかと述べた。
また、復興の過程において町の風景が失われていくことについて小林は、復興自体は歓迎すべきことだが、そもそも、震災とそれに伴う原発事故がなければ、風景や記憶を失う必要がなかったことも心に留めなければならないと述べ、そうした意識を人々が持ち続けるための「揺り動かし」をアーティストに期待したいとした。卯城は、被災者の分断、加害者像の曖昧さといった問題から、町を新しくすることと記憶を維持することの両立を、誰がどのような立場で行っていくのかが非常に難しくなっていると述べた。
最後に、小林と卯城がプロジェクトの今後について言及した。「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」は、立ち上げ当初の目的は達成したため2017年度で事業を終了したが、小林は、作家の表現が持つ力を実感していると言い、今後も作家との取り組みは続けていくとのこと。また、誰からも等距離でフラットな場所である文化施設だからこそ、様々な人が意見を共有できる場作りも継続して行っていくという。卯城は、2017年をひとつの変わり目として位置づけ、被災地の復興も第二次復興計画に移っていく中、DFWもまた、次の段階へ移行しているとしたうえで「あくまでゴールはなく、オンゴーイングであり続ける。今は変わり目すぎて、なかなか難しいけど、だからこそ色々考える余地がある」と述べてディスカッションを締めくくった。
プレ・ディスカッション・シリーズ第5回は「美術かアクティヴィズムか」と題して7月に開催予定。詳細は森美術館のウェブサイトで発表される。
(文中敬称略)
文:木村奈緒(フリーランス)
撮影:田山達之