作家名 | : | 風間サチコ/Kazama Sachiko(1972-) |
---|---|---|
出身/在住 | : | 日本 |
制作年 | : | 2012 |
素材 | : | 木版画(墨、和紙、パネル) |
サイズ | : | 181×120 cm |
公共事業、戦争から自然災害まで、歴史に残る出来事を「現代」の視点で見つめ直す風間サチコは、木版画を中心に制作している。当初は人間の死生観、消費社会、一億総中流社会、成長神話など今日的な課題を扱っていたが、次第に「過去の直視しがたい現実」と対峙するようになる。版画への関心は、恩地孝四郎、藤牧義夫など1910~1930年代の創作版画とキルヒナーなどドイツ表現主義からの影響が大きいという。それらの作品は、多くの場合、重く大きなテーマを扱っているにもかかわらず、漫画風でコミカルな一面を持ち、観客はその面白さに引き込まれて細部を見ている間に批評的な分析やアイロニーに気付かされる。近年の個展は「Tokyo Contemporary Art Award 2019–2021 受賞記念展:風間サチコ Magic Mountain」(東京都現代美術館、2021、下道基行との併催個展)、「ディスリンピアン2021」(無人島プロダクション、東京、2021)、グループ展に「フェミニズムズ」(金沢21世紀美術館、石川、2021)、「Reborn-Art Festival 2021–22 ―利他と流動性―」(宮城、2022)など。
2011年の福島第一原子力発電所事故を受けて制作された《獄門核分裂235》では、風間が経済産業省総合庁舎本館と漫画『キン肉マン』の超人サンシャインに重ねて作り出した、「獄門」プリズン・ス・ガモーが描かれた。さらに、その土台として今は存在しない内務省庁舎が、また左には国会議事堂、右には警視庁本部庁舎が描かれている。また、戦後日本の原子力政策に深く関与したアイゼンハワーが原子核に、原子力発電所を日本に導入した日本人政治家たちが原子核の周囲を飛び回る6つの電子となっている。タイトルの235は、広島に落とされた原子力爆弾に使われた「ウラン235」と、1954年に提出された日本初の原子力関連予算額2億3,500万円に由来し、背景の爆発は予算案通過の3日前にビキニ環礁で行われた水爆実験のキノコ雲だという。直視しがたい史実に対する風間の分析と批評は、アイロニーを含みつつ、コミカルな面白さを孕む表現となっている。
作家名 | : | 風間サチコ/Kazama Sachiko(1972-) |
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出身/在住 | : | 日本 |
制作年 | : | 2012 |
素材 | : | 木版画(墨、和紙、パネル) |
サイズ | : | 181×120 cm |
公共事業、戦争から自然災害まで、歴史に残る出来事を「現代」の視点で見つめ直す風間サチコは、木版画を中心に制作している。当初は人間の死生観、消費社会、一億総中流社会、成長神話など今日的な課題を扱っていたが、次第に「過去の直視しがたい現実」と対峙するようになる。版画への関心は、恩地孝四郎、藤牧義夫など1910~1930年代の創作版画とキルヒナーなどドイツ表現主義からの影響が大きいという。それらの作品は、多くの場合、重く大きなテーマを扱っているにもかかわらず、漫画風でコミカルな一面を持ち、観客はその面白さに引き込まれて細部を見ている間に批評的な分析やアイロニーに気付かされる。近年の個展は「Tokyo Contemporary Art Award 2019–2021 受賞記念展:風間サチコ Magic Mountain」(東京都現代美術館、2021、下道基行との併催個展)、「ディスリンピアン2021」(無人島プロダクション、東京、2021)、グループ展に「フェミニズムズ」(金沢21世紀美術館、石川、2021)、「Reborn-Art Festival 2021–22 ―利他と流動性―」(宮城、2022)など。
2011年の福島第一原子力発電所事故を受けて制作された《獄門核分裂235》では、風間が経済産業省総合庁舎本館と漫画『キン肉マン』の超人サンシャインに重ねて作り出した、「獄門」プリズン・ス・ガモーが描かれた。さらに、その土台として今は存在しない内務省庁舎が、また左には国会議事堂、右には警視庁本部庁舎が描かれている。また、戦後日本の原子力政策に深く関与したアイゼンハワーが原子核に、原子力発電所を日本に導入した日本人政治家たちが原子核の周囲を飛び回る6つの電子となっている。タイトルの235は、広島に落とされた原子力爆弾に使われた「ウラン235」と、1954年に提出された日本初の原子力関連予算額2億3,500万円に由来し、背景の爆発は予算案通過の3日前にビキニ環礁で行われた水爆実験のキノコ雲だという。直視しがたい史実に対する風間の分析と批評は、アイロニーを含みつつ、コミカルな面白さを孕む表現となっている。