作家名 | : | シルパ・グプタ/Shilpa Gupta(1976-) |
---|---|---|
出身/在住 | : | インド |
制作年 | : | 2007-2008 |
素材 | : | マイク、マイクスタンド、内蔵スピーカー、アンプ |
サイズ | : | 音声:9分、マイク:145×30×30 cm |
シルパ・グプタは1992年から1997年まで、サー・JJ芸術学院で彫刻を学んだ。作品は世界各地の著名な展覧会や美術館で紹介されており、2011年にクエンカ・ビエンナーレ(エクアドル)でビエンナーレ・アワードを授与されたほか、2004年にはトランスメディアーレ・アワード(ベルリン)とサンスクリティ財団賞(ニューデリー)を受賞。また南アジア・ビジュアル・アーティスツ・コレクティブ(カナダ)によってインターナショナル・アーティスト・オブ・ザ・イヤーにも選出された。
グプタのアート作品の背景にあるのは西洋のコンセプチュアル・アートの表現形式であるが、その方法論やプロトコルは、より広いポスト植民地主義文化の文脈の一部である、作家の母国インドの歴史を探求するために用いられている。彼女の作品ではナショナリズム、貿易、宗教、そして個人的および集合的記憶と知覚を解き明かす方法が繰り返し言及される。サウンド・インスタレーション作品《運命と密会の約束―1947年8月14日、ジャワハルラール・ネルー(1889-1964年)による憲法議会演説》においてグプタが行ったのは、1947年に英国からインドが独立する前日、初代首相となるジャワハルラール・ネルーが行った重要な演説の再演である。演説を通してネルーは、自由と平等の追求、腐敗の根絶など、新しいインドの理想を掲げる。ネルーがこの有名な演説を大観衆の前で行ったのに対して、このインスタレーションは部屋の中に、演説原稿と並んで古いマイクが一本立っているだけである。作家は静かに囁くように、ときには歌うようにして演説を朗読し、オーディエンスを引き込んでいく。この演説を振り返ると、独立時に宣言された新しいインドの理想と現在のインドの政治が直面する現実の間に大きな矛盾が横たわっていることは明白だ。彼女の作品ではしばしば個人的な経験と集合的な経験が並べ置かれるが、本作でその並列はマイクにおいて顕在化する。ひとりの権力者のビジョンを受け取るだけの権威主義的な受信機は、目に見えない大衆の象徴的な声を伝えるためのスピーカーに変容されるのである。
作家名 | : | シルパ・グプタ/Shilpa Gupta(1976-) |
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出身/在住 | : | インド |
制作年 | : | 2007-2008 |
素材 | : | マイク、マイクスタンド、内蔵スピーカー、アンプ |
サイズ | : | 音声:9分、マイク:145×30×30 cm |
シルパ・グプタは1992年から1997年まで、サー・JJ芸術学院で彫刻を学んだ。作品は世界各地の著名な展覧会や美術館で紹介されており、2011年にクエンカ・ビエンナーレ(エクアドル)でビエンナーレ・アワードを授与されたほか、2004年にはトランスメディアーレ・アワード(ベルリン)とサンスクリティ財団賞(ニューデリー)を受賞。また南アジア・ビジュアル・アーティスツ・コレクティブ(カナダ)によってインターナショナル・アーティスト・オブ・ザ・イヤーにも選出された。
グプタのアート作品の背景にあるのは西洋のコンセプチュアル・アートの表現形式であるが、その方法論やプロトコルは、より広いポスト植民地主義文化の文脈の一部である、作家の母国インドの歴史を探求するために用いられている。彼女の作品ではナショナリズム、貿易、宗教、そして個人的および集合的記憶と知覚を解き明かす方法が繰り返し言及される。サウンド・インスタレーション作品《運命と密会の約束―1947年8月14日、ジャワハルラール・ネルー(1889-1964年)による憲法議会演説》においてグプタが行ったのは、1947年に英国からインドが独立する前日、初代首相となるジャワハルラール・ネルーが行った重要な演説の再演である。演説を通してネルーは、自由と平等の追求、腐敗の根絶など、新しいインドの理想を掲げる。ネルーがこの有名な演説を大観衆の前で行ったのに対して、このインスタレーションは部屋の中に、演説原稿と並んで古いマイクが一本立っているだけである。作家は静かに囁くように、ときには歌うようにして演説を朗読し、オーディエンスを引き込んでいく。この演説を振り返ると、独立時に宣言された新しいインドの理想と現在のインドの政治が直面する現実の間に大きな矛盾が横たわっていることは明白だ。彼女の作品ではしばしば個人的な経験と集合的な経験が並べ置かれるが、本作でその並列はマイクにおいて顕在化する。ひとりの権力者のビジョンを受け取るだけの権威主義的な受信機は、目に見えない大衆の象徴的な声を伝えるためのスピーカーに変容されるのである。