2016年1月17日(日)、森美術館「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」トークセッションを開催しました。フォスター+パートナーズからは、その黎明期から40年以上にわたり、デザイン部門を統括してきたデヴィッド・ネルソン氏(デザイン統括シニア・エグゼクティヴ・パートナー)を、そして、サスティナブル建築の研究者である難波和彦氏(東京大学名誉教授)を迎え、両氏によるレクチャーの後、森美術館館長南條史生のモデレーションにより、ディスカッションを行いました。参加募集の開始前から多くの方に注目をいただき、予定していた定員を大幅に上回る数の方々にご参加をいただきました。
会場の様子
フォスター+パートナーズは、香港の《香港上海銀行本店》(1979-1986)を皮切りに、1989年の東西ベルリン統合を機にドイツ民主化の象徴として創られた《ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク》(1992-1999)、ガーキンの愛称で親しまれている新世紀のロンドンのシンボル《スイス・リ本社ビル(30セント・メアリー・アックス)》(1997-2004)、北京オリンピックのメイン・ゲート《北京首都国際空港》(2003-2008)など、世界各国を代表する現代建築を生み出している建築デサイン組織です。
1970年代には、英国IBMの本社を設計し、現在、アップルの本社を手がけ、ESA(欧州宇宙開発機構)と長年にわたる月面住居の研究など、その時代を牽引する企業・機関から選ばれ続けています。展覧会では、50年にわたる彼らの軌跡を辿りましたが、創立者である建築家ノーマン・フォスターのもと、1500人ものスタッフを擁する大組織でありながら、高い作品性を誇る建築を生み出してゆく彼らの尽きることない創造力の秘密はどこにあるのか、本トークセッションではその原動力の一端を垣間見ることができました。
デヴィッド・ネルソン氏のレクチャーは、本展の論旨同様、その源泉がノーマン・フォスターとリチャード・バックミンスター・フラー氏との12年に及ぶ共同研究にあることを結論としました。注目すべきは、二人が、《サミュエル・ベケット劇場》(1971)のプロジェクトで打ち合わせをしている一枚の写真です。そこには、今なお変わることのない現在のフォスター+パートナーズの姿があるといいます。バッキー(フォスター+パートナーズのスタッフは、バックミンスター・フラー氏のことを今も皆、親しみを込めてこう呼んでいます。)とノーマンを中心に数名が打ち合わせをしているのですが、建築家はノーマンを含む二人。そのほかのメンバーは、構造エンジニア、コスト・コンサルタント、グラフィックデザイナーです。ネルソン氏によると、この頃から最適な専門家を組織して統合されたプロジェクトチームをつくり、議論を重ねながら、ひとつの建築をデザインしていたというのです。
デヴィッド・ネルソン氏のレクチャー
このプロジェクトチームのスタイルは、現在も全く変わることなく、さらに進化しています。現在のフォスター+パートナーズには、6つのデザイン・スタジオが存在し、スタッフの50パーセントが建築家、残りの50パーセントは様々な分野の専門家です。すべてのプロジェクトは、デザイン・スタジオを縦軸に、それらのプロジェクトに横断的に関わる専門家、例えば音響専門家、コンピューター・サイエンティスト、インテリア・デザイナー、プロダクト・デザイナー、そして、時には、航空宇宙学者、アーティスト、文化人類学者など専門コンサルタントが独自のチーム編成をし、そのチームを建築家が統括するのです。
デヴィッド・ネルソン氏
プロジェクトチームが複雑に、かつ緻密に織られた織物のように構成されていることから、そこから創り出された建築も、地域、社会、技術、文化、芸術、経済など、多様な側面から検証を重ねています。このアプローチこそが、フォスター+パートナーズに魔法をかけ、幾層にも織り込まれた建築の魅力を創りだしているとネルソン氏はいいます。
ノーマン・フォスターは、ひとりの天才建築家が作品を創るという20世紀まで続いてきた建築家のアプローチを変革し、多くの人々の叡智を結集することによって、魅力ある建築を創り出すことができることを、50年かけてフォスター+パートナーズで証明しました。ネルソン氏は、長年にわたり育ててきたそのクリエイティブな組織論を、展覧会では紹介されなかった最近作や、1947年にバッキーが提案した《ダイマキシオン・カー D‐45》を研究し、デザインをそのままに最新型にアップデートした自動走行車《D‐46》の計画案などといったイノベーティブなプロジェクトの数々を紹介しながら、存分に語ってくれました。
《D‐46》
フォスター+パートナーズの建築には、一貫したテーマが存在します。それが、「サスティナブル・デザイン」です。難波和彦氏は70年代から、建築の工業化、システム化を追求し、その到達点として、サスティナブル建築を研究してきました。今回のレクチャーでは、「インテグレーションとしてのサスティナブル・デザイン」というテーマで、産業革命以降の建築が辿ってきた近現代建築史を俯瞰しながら、建築が技術と思想の継承から生まれてくること、そして、未来へとつなぐ現代建築の重要命題がサスティナブル・デザインであることを、たいへん明解にお話しくださいました。
難波氏は、建築を4つの層の統合として捉えることで、現代建築が解決すべき問題と手法を読み解くことができるとしています。
難波和彦氏のスライドから
© 難波和彦
難波氏は、このマトリクスに表れているプロセスを過不足なく統合し、実践しているのが、フォスター+パートナーズの仕事であると評価しています。本レクチャーでは、難波氏が70年代からノーマン・フォスターの建築の魅力に引き込まれ、《ウィリス・フェイバー・デュマス 本社ビル》(1975)や、《セインズベリー視覚芸術センター》(1978)など、初期のプロジェクトが自身の研究に大きな影響を与えたこと、その後のフォスター+パートナーズの建築が、難波氏の『建築の四層構造』の視点からも重要な実践と実験を持続してきたこと、特に、《ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク》(1992-1999)は、「保存と再生」、「社会性と民主性」、「エネルギーとサスティナビリティ」にいたるまで、建築をめぐる様々な問題を統合した最高傑作であることを論じました。
最後は、都市全体を環境制御するドームで包み込むバックミンスター・フラーの有名な《マンハッタン計画》を紹介し、ここに示されたビジョンを今後のフォスター+パートナーズが実現していくだろうと締めくくりました。
難波和彦氏
後半は、南條からの、鋭い質問とコメントでディスカッションが進行しました。ノーマン・フォスター、リチャード・ロジャース、レンゾ・ピアノの3人の共通点と違いについて質問されると、両氏からは、それぞれ出自や人間性は大きく異なるが、そのテクノロジーに対する関心の高さとアプローチが共通していることが指摘されました。
特に難波氏は、70~80年代、建築界に多大な影響を与えた評論家レイナー・バンハムが、その代表的な著書『第一機械時代の理論とデザイン』においてバックミンスター・フラーの思想で結論づけ、その後の批評において、“3人の仕事はフラーの思想と共鳴している”と共感を示している点が興味深いと述べられました。
トークセッションの様子
また、巨大組織が作品のクオリティをどのように維持しているのかという質問に対して、ネルソン氏いわく、現在ノーマン・フォスターと、初期からのメンバーであるスペンサー・ド・グレイ、デヴィッド・ネルソンの3人が、デザインをすることを辞め、6つのスタジオの若い建築家たちのデザインを審査するという姿勢でプロジェクトを支えていること、また、巨大プロジェクトでは、いくつかのスタジオがコラボレーションしてチームを編成するなど、有機的でユニークな体制が有効に働いているそうです。
フォスター+パートナーズは、50年間、時代の潮流に流されることなく、次世代へつなぐ文化遺産となる価値ある建築を創り出し、建築史に確かな足跡を残しています。それが、多くの建築家や専門家の手によって緻密に計画され、創られていることを改めて理解することができました。これからの建築や都市づくりに携わる人々、そしてそこに暮らし、集う私たちに、未来への示唆を与えてくれたトークセッションでした。
左から:難波和彦氏、デヴィッド・ネルソン氏、南條史生
文:前田尚武(森美術館学芸グループ、本展担当者)
撮影:御厨慎一郎
<関連リンク>
・フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション
会期:2016年1月1日(金・祝)-2月14日(日)
【flickr】「フォスター+パートナーズ展」の展示風景を公開 !