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トークセッション第3回「日本から海外へ:展覧会 アジア編」番外編
L・バルトロメオス(山口情報芸術センター)&熊倉晴子(森美術館)キュレーター対談

2021.1.18(月)

「STARS展」トークセッション第3回「日本から海外へ:展覧会 アジア編」では、国際交流基金アジアセンター、美術コーディネーターの古市保子さんをお招きして、30年に渡る活動についてお話を伺いました。準備段階として、これまでの古市さんの活動について学び、質問を考える際、日本の中からだけでなく、交流の相手である他のアジア諸国の視点からも、国際交流基金の活動について改めて考えることが必要との思いに至り、インドネシア出身で現在は山口情報芸術センターにてキュレーターを務めるレオンハルド・バルトロメオスさんとの協働が実現しました。具体的には、それぞれ古市さんの関わってきた展覧会のカタログに掲載された論考や、シンポジウムの記録集などを読み、定期的にオンライン上でミーティングを行い、関心を抱いた点などを共有していきました。そうした中から、いくつかの質問が生まれ、それを古市さんにぶつけてみたのが、トークセッション第3回「日本から海外へ:展覧会 アジア編」です。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、当初予定していたバルトロメオスさんも交えてのトークセッションは叶いませんでしたが、古市さんから聞いたお話を共に振り返るトークセッション番外編を11月初旬にオンラインで行いました。

トークセッション第3回「日本から海外へ:展覧会 アジア編」の詳細はこちら:
https://www.mori.art.museum/jp/news/2020/11/4427/

トークセッション第3回「日本から海外へ:展覧会 アジア編」の動画はこちら:

熊倉(以下K):バルトロメオス(以下:バルト)さんの質問に、国際交流基金が1990年にアセアン文化センターを設立した際に、なぜ現代美術にフォーカスしたのか、というものがありました。それについて古市さんが当時の基本方針を紹介してくださったのですが、それが大変よく考えられたもので、かつ、今日的にも非常に意味のあるものだと思いました。

  • ① 現代文化を重視する。今、アセアンの人たちが何を考え、どのように生きているかを知らせる。
  • ② センターが紹介するさまざまな作品は日本人が敬意を表するに値する質のものにし、それらを続けて紹介していく。
  • ③ 一貫した継続性を自覚し、1カ国を通時的に、あるいはほかの国との組み合わせのなかで作品を選んでいき、5年、10年と続けるなかで、公平性、平等性も満たすことができるようにする。
  • ④ 事業の選考の決定は、センター自身が行う。専門家の意見や、対象国の事情を十分配慮のうえ、最終的な決定はセンター自身が行う。
  • ⑤ 東京だけでなく全国のほかの都市にも紹介する。できるだけ多くの日本人にアセアン諸国の文化に接してもらうようにする。

①で、現代の文化にフォーカスするということが既にいわれていますが、これは当時まだ日本との経済格差が激しかった東南アジアに対する日本の既成概念を変化させるには、伝統的な表現ではなく、現代的な作品を重視する必要があるという意図だったようです。また、②は、東南アジアの国々によって選ばれたアーティスト、つまり国家が思い描く美術像をそのまま受け取るのではなく、日本人が能動的に、敬意を持って作品を選ぶ、というところが重要かなと思います。選ぶためには作品をより理解しなくてはいけないですから。

バルトロメオス(以下B):確かに大変よくできた方針ですね。それを聞くと、やはり国際交流基金アジアセンターは、他国の文化機関とは一線を画しているように思います。ひとつには意図的に現代美術にフォーカスしていること、もうひとつは、東南アジアの文化を日本に紹介する際のキュレーターとしての役割を担おうとしているという点です。内容を精査し、適切な文脈のもとに紹介しようとしていますよね。通常、政府同士の関係性の中で行われる展覧会であれば、政府が思い描く理想的な国家像に合致したアーティストが繰り返し選ばれてしまいますし、政治的なアジェンダを持ったものになる可能性もあります。また、国際交流基金は2000年代初頭から、ただ資金や機会を提供するだけでなく、「協働する」ことを重要視していたことも重要だと思います。当時はそのような試みを行っている文化機関は他になかったのではないかと思います。

K:そうですね、教育的ではなく、協働することで共に学んでいくという姿勢が強く打ち出されていますよね。

B:現在では、ヨーロッパの文化機関なども、そうしたコラボレーションを重要視したプログラムを行うようになってきたという印象があります。国際交流基金が協働を重視していたからこそ、それに伴う困難があったのかどうかは、聞いてみたいと思っていました。また1990年代は、東南アジアのいくつかの国はまだ独裁政権下にありましたから、そうした意味ではリスクも大きかったのではないかと思ったのです。とくに現代美術アーティストと協働するということは、簡単ではなかったのではないかと。古市さんも、インドネシアのアーティスト、ヘリ・ドノの作品がいかに政治的で批評的なものだったかということを話していましたが、難しい判断だったと思います。そうしたアーティストを招聘して、彼らの批評性を展示というかたちで可視化する行為ですから。

K:国際交流基金のいわばトップダウン的なプログラムのあり方に、現地のアーティストからの抵抗はなかったのかという質問ですね。古市さんは、1990年代はじめの調査のときにはネガティブな反応というものはなくて、かなり歓迎ムードがあったと言っていました。それはおそらく冷戦や独裁政権など、より身近な敵がいたということと、今と違って国外で展示をするチャンスはかなり限られていたからだと。国内では展示することのできない政治的な作品も、国外であれば可能ということになれば、アーティストはそのチャンスを掴みたいと考えますよね。

B:そうですね、国際的に活動して、独裁政権についての批評的な作品を展示できる機会はかなり限られていたと思います。

K:また、1990年代に活動していたアーティストたちは戦争経験世代の子どもの世代であることもあり、過去を乗り越えて共に前にすすもう、という気運があったと思います。今、私たちの世代は孫の世代になっているので、距離感をもって過去を振り返ろうとしていますよね。また、戦争時代を直接知っている世代から話を聞くことのできる最後のチャンス、ということで、そうした世代的な使命感もあると個人的には感じています。

B:当時はとくに、非言語的な方法でコミュニケーションをとるという意味でも、自分たちの歴史や美術史を知らない人たちに向け展覧会というかたちで作品を見せることが必要だったんだと思います。英語が話せることが非常に特権的なことでしたから。なのでそういうアーティストたちのニーズと、国際交流基金の方針がマッチしていたんですよね。そういう状況の中で、アーティストたちは一生に一度きりの経験だと思って、勇気を出して海外に自分の作品を携えていったのだなと思います。東南アジアの歴史は大変多層的で、国によって発展の速度にかなり差がありますが、今はインターネットの発達のおかげで、様々な対話を同時に行うことができるようになっていて、それは当時と大きく違うところです。

K:日本と東南アジアのコミュニケーションということでいうと、先ほど歓迎ムードという話がありましたが、国際交流基のローカルオフィスが重要な役割を果たしてきたと、古市さんがおっしゃっていました。なにかコミュニケーションの齟齬があった場合でも、ローカルオフィスの職員がうまくフォローしてくれていたのではないかと。彼らは現地に住んでいて、その国の文化をよくわかっていますよね。私が参加した2017年の「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」のためのリサーチでも、やはりローカルオフィスの方々の存在は大変有難かったです。

展示風景:「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」
展示風景:「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」森美術館(東京)2017年
撮影:木奥恵三

B:そうですね、知らない地域の調査に入っていくのは、1990年代はとくに難しかったと思います。日本から訪れて、本当に今、何が起こっているかを理解するのはとても難しいです。政府に選ばれた国を代表するようなアーティストやキュレーター、大きな美術館を訪れることしかできないかもしれません。ローカルオフィスの人たちが重要なのは、キュレーターがリサーチを終えて自国に帰った後でも、関係性を持続することができる点にもあります。ローカルオフィスの人たちが継続する努力をしてくれたことで、国際交流基金という大きな組織のプログラムが、より人間的なものになったのではないかと思います。その点も他国の文化機関とは異なります。他の人はまた違う意見があるかもしれませんが。

K:国際交流基金のローカルオフィスは1970年代からあったので、19990年のアセアン文化センターができたときには、すでに関係性ができていたし、どのような課題があるかもわかっていたんですよね。
先ほどの話にもでた、過去を振り返る、歴史を再検証するような動きについてですが、2000年前後から、リサーチをベースにした作品がたくさん発表されるようになってきました。

B:そうですね。例えばインドネシア・ニュー・アート・ムーブメントにしても1970年代は若者の抵抗という側面が強かったですが、それに参加しえたアーティストたちも、1990年代には歴史を再考するような作品をつくりはじめています。彼ら自身のアイデンティティがどこからくるのか、ということを知るためにリサーチを始めたんですね。福岡アジア美術館の学芸員だった後小路雅弘さんは「なぜ自分のアイデンティティを探すのか」という質問をなげかけていました。なぜなら、日本ではそうした流れは見られなかったと。なぜ東南アジアのアーティストはそれをしなければならないのか。アイデンティティの問題は、1990年代の東南アジアにおける最も大きな課題でした。私たちの世代はまた異なる視点から、自分たちのアイデンティティをより批評的に捉えていると思います。1990年代に比べて、国外に行くことはとても簡単になっていますし、感覚が異なりますよね。私自身にとっては、日本や韓国で作品を展示することはとても日常的なことになっています。より若い世代がどのように考えているのかにも関心があります。

展示風景:「MAMリサーチ003:ファンタジー・ワールド・スーパーマーケット―インドネシア現代美術のアプローチ、実践、思考 1970 年代のニュー・アート・ムーブメントから現在まで」
展示風景:「MAMリサーチ003:ファンタジー・ワールド・スーパーマーケット―インドネシア現代美術のアプローチ、実践、思考 1970 年代のニュー・アート・ムーブメントから現在まで」森美術館(東京)2016年
撮影:永禮 賢

K:国外で展示することはすでに特別なことではないですよね。そこに政治的アジェンダなどもなく、当たり前のことになっています。2017年のサンシャワー展のときも、アーティストたちはすでに国外で作品を発表している人がほとんどでした。そうした意味でも日本と東南アジアのキュレーター、アーティストが目線を合わせながら過去を振り返り、協働することができる時代になったと言えると思います。また、古市さんは「サンシャワー展」という大型展が開催されることとバランスをとるということを念頭において、「Condition Report」という協働プログラムを実施したとおっしゃっていました。

B:私と熊倉さんが2014年にジャカルタで参加した国際交流基金のワークショップ「Run&Learn」は、4日間しかなく、参加者がお互いにコミュニケーションをとる時間が少ないということに、皆不満を持っていましたよね。そのワークショップは当時の基金にとっても新しい試みだったので、様々な課題がありました。その後に企画された「Condition Report」では改善されていたと思います。その後他国の文化機関も、より若いキュレーターたちと協働するプログラムを行うようになりましたが、国際交流基金はそのような試みを最も早く行っていたのではないでしょうか。

K:そうですね、前例のない、結果のわからないことをやるというのは大変勇気のいることだと思いますが、国際交流基金はそれをやってきたのですよね。すでに評価の定まったことではなく、失敗する可能性があることをやって、失敗したとしても、それを次に活かしていくという。「アンダー・コンストラクション」のときに、現森美術館館長の片岡や、光州ビエンナーレのキム・ソンジョンさんが協働していて、その関係性が今でも続いているということが、その後のワークショップを実施していく際の動機になったのだと思います。

B:うまくいかないことがあったとしても、協働すること、友達になることが重要なのであって、失敗は次に活かせばいいと。でもそれは数字にならない、レポートに書きにくいことですよね。そうしたチャレンジができるだけの余裕というか、機関としての力があったということですよね。

K:古市さんとは、ルアンルパ(註1)がドクメンタの芸術監督に選ばれたということについても話しました。ルアンルパにとってはもちろん大きなチャレンジですが、ドクメンタを主催する人々にとっても、より大きなチャレンジといえますよね。

註1:バルトロメオスさんも参加している、ジャカルタを中心に活動するアート・コレクティブ。2000年結成。ドイツで5年に1度行われる国際展、ドクメンタの芸術監督に選出され、世界的に注目が集まっている。

B:そうですね、ドクメンタが終わった後、多くの人に協働すること、コレクティブの重要性が伝わるといいなと思っています。多くの人がルアンルパについて話してくれていますが、自分達だけの力でここまでたどり着いたわけではないし、様々な実験や失敗、対話があってのことです。これまでルアンルパに関わってきたすべての人がこれに貢献しているといえるし、国際交流基金も、その一部です。それにルアンルパがコレクティブというものをつくりだしたり、代表しているのではなく、コレクティブは私たちの文化にすでに存在していたものです。だからこそ背負っているものがあると感じてもいます。インタビューの最後に古市さんが言っていた、時間的、空間的アジアに自らをおいてみるという話、1990年代に点でしかなかったものが、だんだん線になって、それが空間になっていく、その空間をアジアと呼んでみるというのは、とても興味深いと思いました。国同士の政治的な関係性を超えた、アジアという空間を自分たちで作り出していく、というのは、国際交流基金、ひいては古市さんのこれまでの活動を、とてもよく表していますよね。

K:アートより友達、というルアンルパのスローガンも、インタビューの後半ででてきました。

B:フレンドシップ、というのは古市さんのこれまでの活動において、不可欠な要素、キーワードのひとつになっています。

K:先ほどバルトさんも言っていた、数字にならない、測ることが難しい要素ですが、それだけに継続することがとても重要ですね。やはり昨日今日でできることではないですから。私も古市さんが企画したワークショップで初めてインドネシアに行って、そこから様々な関係性や関心が生まれたので、当事者としても、大変有難いなと思っています。

B:古市さんが国際交流基金を退職した後、このような対話が、どのように進んでいくのかが、とても楽しみですね。1990年代のヘリ・ドノなど、より詳細な、アーティストに絞ったお話なども聞きたいと思います。

K:古市さんの記憶を掘り起こしていく作業は今後も必要ですね。またこの続きを話せる機会がもてるといいなと思います。バルトロメオスさん、今日はありがとうございました。

文:熊倉晴子(森美術館アシスタント・キュレーター)


レオンハルド・バルトロメオス プロフィール

1987年生まれ。山口情報芸術センター(YCAM)キュレーター。2012年にジャカルタ・アート・インスティチュートを卒業後、ルアンルパ(のちにグットスクール・エコシステム)に参加。近年、キュレーターのプロジェクトとして、開かれた教育と共同プロジェクトに焦点を当て始めた。2017年、ジャカルタ、スマラン、スラバヤのキュレーターと共にKKK(Kolektif Kurator Kampung)を結成した。その他、国内外でインディペンデント・リサーチや共同プロジェクトを熱心に行う。山口県在住。

レオンハルド・バルトロメオス
Photo: Sancoyo Purnomo

■関連動画、レポートはこちらからご覧ください:

トークセッション

第1回「日本から海外へ:アートマーケット編」:動画、レポート
https://www.mori.art.museum/jp/mamdigital/03/#stars_ts
https://www.mori.art.museum/jp/news/2020/11/4463/

第2回「⽇本から海外へ:展覧会 欧米編」:動画、レポート
https://youtu.be/lIozyDapboI
https://www.mori.art.museum/jp/news/2020/12/4524/

第3回「日本から海外へ:展覧会 アジア編」:動画
https://youtu.be/NTT1x6sh0F4

トーク

第1回「日本の現代美術はどのように海外に紹介されたのか」
https://youtu.be/n1aZHpDZQ9s
第2回「日本の現代美術はどのように海外に紹介されたのか」
https://youtu.be/jv4NBo6YXc4
https://www.mori.art.museum/jp/news/2020/12/4539/

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