「STARS展」トークセッション第1回「日本から海外へ:アートマーケット編」開催レポート
2020.11.18(水)
森美術館で開催中の「STARS展」では作品だけでなく、6名のアーティストそれぞれの展覧会歴や当時の発言、批評などから構成された活動年表を展示しています。また1950年代から現在にかけて海外で行われた日本現代美術展50選を調査・紹介。展示ケースに並べられた膨大な資料とあわせて、日本現代美術史を展望することができます。このアーカイブ展示にあわせてラーニング・プログラムでは、オンラインで関連トークを実施し、その記録動画をウェブ上で公開しています。本レポートでは、アーカイブ展示と合わせてその内容を紹介します。
トークセッション第1回は9月26日に開催された「日本から海外へ:アートマーケット編」。森美術館キュレーターの椿玲子がモデレーターを務め、白石正美氏(SCAI THE BATHHOUSE代表)、小山登美夫氏(小山登美夫ギャラリー代表)、蜷川敦子氏(Take Ninagawaオーナー&ディレクター)の世代の異なる3名のギャラリストが、1980年代から現在までの歩みを振り返り、アートマーケットをとりまく状況について語りました。
「STARS展」出展アーティストのうち5名と関わりがある白石正美氏は、まず1980年代の状況について話しました。現代美術を扱う画廊は東京画廊(現、東京画廊+BTAP)や南画廊などいくつかしかなかった時代。セゾン美術館や原美術館など、現代美術に特化した私立美術館が重要な役割を果たしていました。白石氏はフジテレビギャラリーに15年間勤務後、1989年に白石コンテンポラリーアート事務所を設立。企業美術館である東高現代美術館の副館長を務め、バブル崩壊後の1993年、銭湯を改装した現代美術ギャラリーSCAI THE BATHHOUSEを開廊します。同時代の現代美術作品を購入する個人コレクターもほとんどいない中、どのように経営を行い、どうアーティストをサポートしてきたのか振り返りました。
バブルによる好景気によって、日本が国際社会から注目を集めていた1980年代後半から1990年代前半。展示室に目を向けてみても、短期間に欧米圏で多くの日本現代美術展が開催されていたことがわかります。キャシー・ハルブライヒ、トーマス・ソコロフスキー、河本信治、南條史生のキュレーションによる「アゲインスト・ネイチャー:80年代の日本美術」展(1989-1991年)がアメリカ7都市を巡回。アメリカ、カナダに巡回した「プライマルスピリット:今日の造形精神」展(1990-1991年)が原美術館、北欧4カ国を巡回した「現代日本美術の多様」展(1990-1991年)がセゾン現代美術館、オーストラリア、ニュージーランドを巡回した「日本の現代美術-ゾーンズ・オブ・ラヴ」展(1991-1992年)が東高現代美術館の協力によって開催されています。また、テクノロジーや資本社会、都市文化の観点から日本現代美術が紹介されているのもこの時期の特徴のひとつです。
白石氏は当時、日本が世界的に注目されていたことを示すものとして、ニューヨークの美術雑誌『アートニュース』1990年3月号の表紙に森村泰昌が選ばれ、当時の日本のアートシーンが紹介されていることを挙げました。また1992年に、現在のアートフェア東京の前身である国際コンテンポラリー アートフェア(NICAF)を立ち上げ、国内のマーケット育成や、海外ギャラリーとの関係構築をはじめたことも重要であったと強調しました。
小山登美夫氏は東京芸術大学芸術学科卒業後、西村画廊に勤め、1989年から白石氏の元で働きはじめます。特に小山氏が力を入れたのが、国内の若手アーティストを紹介することでした。表参道のマンションの一室を使ったプロジェクトルームやSCAI THE BATHHOUSEの立ち上げに関わり、村上隆、奈良美智らの展覧会を開催します。小山氏はその後1996年に独立し、オルタナティブギャラリーである佐賀町エキジビットスペースが入居する江東区佐賀町の食糧ビルにギャラリーを構え、村上、奈良をはじめとする若手アーティストの活動をサポートしていきます。また国際的なネットワークの中で活動している若手ギャラリーだけを集めたアートフェアG9を主催するなど国内市場の開拓にも努めます。2000年代には日本のアートが海外のマーケットに広がりはじめ、また現代美術のパブリックアートが国内各地に設置されるようになります。
蜷川敦子氏は国内で美術史や芸術学を学び、2003年から渡米。2000年代のニューヨークは景気がよく、若手アーティストの発掘がさかんに行われていたそうです。日本画から日本のアニメ・漫画、現代美術を紹介した「スーパーフラット」展(ロサンゼルス現代美術館別館パシフィック・デザイン・センターから巡回、2001年)を皮切りにした、村上隆キュレーションによる展覧会トリロジーが開催されていたタイミングでもあり、日本に注目が集まることを肌で感じていたそうです。その後日本に帰国し、2008年に現代美術ギャラリーTake Ninagawaを東麻布で開廊すると同年9月にリーマンショックが起こります。直後のアートフェアは悲惨なものであったと振り返りました。
こうした中で、注目され始めたのはアジア市場です。国際的なアートフェアでありながら、ローカルな面白さを持っていたアート香港(2008-2012年)に2010年から出展するなど当時の香港を知る蜷川氏は、パラサイト・アートセンター(1996年設立)、アジア・アート・アーカイブ(2000年設立)など非営利組織やローカルなシーンを振り返りました。アート香港が2013年にスイスのアート・バーゼルに買収されてアート・バーゼル香港となり、欧米のメガギャラリーが香港、上海、シンガポールなどに支店を持ちはじめるなど国際資本のアジア流入し、現代アートのハブができあがっていきます。しかし、こうした背景には複雑な問題があることも議論されました。展示室に目を向けてみても、中国2都市を巡回した「美麗新世界:当代日本視覚文化」展(2007年)、「KITA!!:日本人アーティストとインドネシア」展(2008年)、「ツイスト・アンド・シャウト:日本の現代美術」展(バンコク芸術文化センター、2009年)、「Re: Quest-1970年代以降の日本現代美術」展(ソウル大学校美術館、2013年)など、アジア圏での日本現代美術展が増えていく様子がわかります。
またアメリカではすでに歴史化されているものへの再評価が盛んになり、ロサンゼルスのブラム&ポーギャラリーでキュレーターの吉竹美香氏が企画した「太陽へのレクイエム:もの派の芸術」展(2012年)展を皮切りに、「Tokyo 1955-1970:新しい前衛」展(ニューヨーク近代美術館、2012年)や「具体:素晴らしい遊び場」展(グッゲンハイム美術館、2013年)など戦後の日本美術に再注目した展覧会も続けて開催されます。
終盤にさしかかり、新型コロナウイルス感染が広がる中、現在の状況と今後の展望について話題が及びます。白石氏はアートフェアが売買の場としてだけではなく、人や新しいアーティストに出会う場として機能していたことに改めて気づいたそうです。小山氏は海外渡航が制限されている中、日本美術史の見直しや国内の現代アートシーンが盛り上がることを期待したいと話しました。また蜷川氏からは地域性と国際的なネットワークを両立することの重要性、国際化する経済格差問題への言及がありました。
総括として、国内ではコレクターが増え始めてはいるものの、さらに日本における現代アートシーンを育てるためには、コレクター、ギャラリー、美術館がそれぞれの立場で意識的に活動しなければならないこと、国際的には中国、シンガポールやインドネシア、台湾、韓国などが注目を集め、相対的に日本の存在感は弱まっていることが語られました。他方で、日本は「具体」や「もの派」のように戦後早くから欧米との繋がりを作ってきた近代/現代美術史の蓄積や土壌があることは重要であり、これを今後どう活かすかがマーケットとしても重要になってくること、近年アジアの第二次世界大戦から戦後、現代へと繋がる近代史の見直しに注目が集まっている中、森美術館がアジア圏のアーティストやアジアの近現代史に注目していることは重要であり、続けてほしいと提言がありました。
本プログラムの全貌はぜひ動画をご視聴ください。各作家の年表、海外で開催された日本現代美術50選を調査した情報はすべてカタログに掲載しています。展覧会は1月3日まで開催されていますので、ぜひ足をお運びください。
本プログラムの動画はこちら:
https://youtu.be/bJK7bOYOIZ0
文:飯岡 陸(森美術館)
撮影:田山達之
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