1.土の中から〜笑いのアーケオロジー:土偶、埴輪
展覧会は、約4000年から3000年前の、ニッコリ微笑んだように見える土偶から始まります。土偶がつくられた目的については、子供の玩具、神像、護符などさまざまな説がありますが、この土偶たちの顔が「笑い」を意図しているのか、たまたま私たちには笑っているように見えるのか、確かめる術はありません。
その後古墳時代も後期になると、色々な職種や階級の人物、犬・猪・馬・鹿といった動物の形をした埴輪が多くつくられるようになります。その中には明らかに笑った、「笑い」を意図してつくられたと思われる、兵士や農夫の埴輪を見つけることが出来ます。笑いには、外敵や邪気から古墳を護る力があると信じられていたのです。
このように日本には、大らかな笑いを造形化する系譜が、古来より続いているのです。
2.意味深な笑み:寒山拾得、近世初期風俗画、麗子像
岸田劉生の「麗子像」シリーズは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」や、中国から伝わった寒山拾得図、そして近世初期風俗画などからインスパイアされて誕生しました。この章では麗子像誕生の秘密をさぐり、あわせて「意味深な笑み」をたたえる美人画も展示します。
劉生は38歳で早逝していますが、パトロンにも恵まれ、当時最高クラスの価格で絵が売れていた画家の一人でした。そして中国の宋元画や日本の近世初期風俗画の研究と蒐集にも力を注ぎました。寒山と拾得は、普賢と文殊の生まれ変わりと言われる中国唐時代の伝説的な僧で、日本でも室町時代より繰り返し描かれてきた画題ですが、この「意味深で不気味な笑い」を麗子像と対比させます。劉生は風俗画や浮世絵を、「生々しい生きものの汚さをもった、でろりの美」と表現しました。そんな美感は、大正から昭和にかけて活躍した
3. 笑いのシーン
様々な病の様子がユーモラスに、時には無惨な視線で描かれた12世紀末の「病草紙」の断簡からこの章は始まり、室町時代に成立した素朴な絵入りの短編物語である
中世から近世にかけては仏教的な約束事を一応守りながら、見る人が思わず笑ったり微笑んだりしてしまうような豊饒なストーリーが、今で言うアウトサイダー・アートのような稚拙味あふれる手法を使って、数多く作られました。
新発見「洛中洛外図屏風」の、ていねいに描かれた、しかしなんともおおらかな稚拙さは、私たちを
この他、
4. いきものへの視線
真正面から動物をとらえた斬新な構図や、擬人化し、何かを語らせようとする手法もまた、江戸時代絵画に特徴的でユニークな表現のひとつです。
江戸時代初期の
明治から昭和初期にかけて活躍した
5. 神仏が笑う〜江戸の庶民信仰
最終章には、江戸時代の宗教者たちが、笑いを目的としてではなく「手段」として、民衆布教に用いた造形と、そして笑いが幸福と富、長寿に結びつく縁起ものとしての福神の画像が集まります。
内なる仏を木から彫りだして形にした円空・
白隠や木喰が、書画や木彫を本格的に始めたのは実は60歳を過ぎた頃からだったのです。そんな事実は、この展覧会で彼らに出会う私たちに何を語りかけてくるのでしょうか。
長澤蘆雪
《牛図》
1781〜89年頃(天明年間)
紙本着色
鐵斎堂
白隠
《蓮池観音図》
江戸時代
紙本着色