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野村和弘 |
野村和弘Artist's Voiceボタンを投げて、それを標的の上に留めさせる、これが私のインスタレーション作品《笑う祭壇》の中で、鑑賞者に参加してもらうゲーム・パートになります。目の、手の、身体全体の感覚によって、その加減が調節されて行われるのですが、ここで使われるボタンの多くは大きさも重さもそれぞれマチマチで、この力で投げたら手前に落ちた、次はそれより少しだけ力を入れて投げてみようというようにはいきません。このゲームの場合、成功させるためには出会い頭の幸運が必要となってくるのです。 それは画家が、一筆一筆とキャンバスの上に絵の具を乗せていくのを制御できないという制作態度とも対応するように思われます。セザンヌ晩年のサント・ヴィクトワール山の連作での筆跡や、ウォーホルのシルクスクリーンで擦られた絵の具のかすれ具合などを思い浮かべてみてください。このように絵の具を置きたい、完全にはそうならなかった、このように絵の具を置きたい、完全にはそうならなかった、というように「到達されないもの」が絵の具の中に練り込まれていきます。「このように」の内容、目的は一筆ごとに異なり、「そうならなかった」度合にしても然りです。絵画は、言わばそういう失敗の集積としてあるのでしょう。 Artist's Topic十和田市現代美術館での作品展示(「春を待ちながら―やがて色づく風景を求めて―」、2015年2月28日-4月5日)の作業上がり、宿泊していたホテルの部屋で、シャワーを浴びようとして裸になった時だと思う、バスルームの鏡を利用して自写したもの。この一枚の他はすべて消去の憂き目となっていたが、なぜこの一枚だけが残されたのか、今では思い出すことができない。一番マシだったからだろうけれど。では、どのように? “Roppongi Crossing 2016” Promotion Video |