シリーズ第1回となるこのレクチャーでは、槇 文彦、富永 譲両氏それぞれのル・コルビュジエ体験、およびル・コルビュジエの白の時代(初期)と後期の建築を比較して、その特徴と共通点などをランダムにお話しいただきました。
1950年代の初め、日本では丹下健三氏のもとで建築を学び、その後アメリカのハーバード大学に留学した槇 文彦氏。ハーバードでは、ル・コルビュジエ門下の教授たちなど、周辺にル・コルビュジエを語る人が多かったため、彼のことは常に話題になっていました。一作ごとに世界の建築の関心をひいていたル・コルビュジエを、槇氏はアメリカから注目して見ていたのです。
ル・コルビュジエをたずねる旅の最初は1950年代の終わり、インドのアーメダバードでした。朝起きて宿泊したホテルの窓から外を眺めると、目の前の川の対岸に建っていたのが《繊維業者協会会館》でした。それから汽車に乗って、まだ建設中の《チャンディガール》へ向かい、偶然にも滞在中だったル・コルビュジエにアトリエで会うことができました。設計途中の図面をル・コルビュジエに見てもらうと、「柱はもっと自由にさせなさい」とのコメントを受けました。これがル・コルビュジエと会った唯一の機会となりました。
その頃、すでにル・コルビュジエは伝説的な存在として既に神話化されていました。実際は素朴な人柄でしたが、人生は残酷であるということをしょっちゅう口にしていました。人生はなかなか彼が思うようには展開せず、いつも不満がありましたが、なおかつその思いを戦いのエネルギーに変えていく、そんな人でもあったようです。
次に富永 譲氏が、ル・コルビュジエに魅せられていったいきさつを語ってくださいました。大学2年生の頃その名を知ったものの、当初は興味を抱くことはありませんでした。建築事務所に5年間勤務した後、独立してから毎日ル・コルビュジエの作品集を読むようになり、そこに汲みつくせない様々な発見をしていました。そして、ル・コルビュジエの50分の1の模型をつくりはじめました。模型づくりを1年くらい継続した後、ル・コルビュジエの住宅にならいいくつかの住宅建築を試みました。ル・コルビュジエのボキャブラリーを利用しつつ、そこに現代的な感覚を付け加えて、自分なりの創作ができるおもしろさがありました。
《ロンシャンの礼拝堂》(1950-55年)のことを、風景の音響学とル・コルビュジエ自身は言っています。大地と空間に対して建築がどのようにはたらきかけることができるか、という意識のもとで、地形、環境などに配慮して構想されています。歴史や大地を重要な要素として建築をとらえるようになった最初の作品がこの《ロンシャンの礼拝堂》であり、以降、東方への旅のスケッチを描いた1911年(24歳)の頃の記憶と意識へと回帰していったのではないかと富永氏は考えます。
《ラ・トゥーレットの修道院》(1953-60年)は、大地を浮かび上がらせ、その上に人間性を形象化したように感じられる作品です。また、修道院は家族もいない個人の極限の生活の場であると同時に共同体の生活の場でもあります。そうした根源的な社会の本質を理想化したような厳しさが、この建築にでているように思われます。
フィルミニーの《サン・ピエール教会》(1960-2006年)はル・コルビュジエの遺作となります。建築途中にドローイングをのこして亡くなったため、担当していた建築家が作業を受け継ぎ、40年以上たって完成したものです。
これら教会堂三部作について、《ロンシャンの礼拝堂》は不定形、《ラ・トゥーレットの修道院》は直角、《サン・ピエール教会》は垂直の空間と言うことができます。
《小さな休暇小屋(カップ・マルタン)》(1951-52年)は、奥さんの誕生日プレゼントとしてつくった家です。8帖くらいの空間で、中に入ると自分と部屋が一体となり守られているような感じがします。後期、コルビュジエは仕事の構想の場として利用していました。
《母の家》(1923)の完成は《ラ・ロッシュ‐ジャンヌレ邸》と同時期でした。しかしこのふたつの建築は全然違う方向を向いています。これは、ル・コルビュジエにもともとふたつの方向性が同居していたということではないでしょうか。《母の家》は素朴なたたずまいですが、非常に独創的な住宅です。白の時代の芸術的空間とは違う、こまやかな愛情のこもった、住まいへの普遍的な知恵が生かされています。建築後30年を経て、著書『小さな家』(1953年)で、この《母の家》がいかに大切かということを書いています。この本の出版はちょうど《ロンシャンの礼拝堂》を手がけている頃でもありました。
《ラ・ロッシュ‐ジャンヌレ邸》(1923-25年)はル・コルビュジエの白の時代の出世作となった作品です。東方への旅の影響はここでも見てとれます。古い空間と新しいものが合体して、新たなものがうまれてくる兆しのような芸術的な空間となっています。窓に関して、白の時代の窓は主体が外界を窓から眺めとるものであり、後期の窓は中にいる主体に対して外界が浸透してくるものであったという興味深い議論も展開しました。
やがて、「単純な空間をどう繋げるか。そこに白の時代の住居の構成のひとつの秘密があるのではないか。東方への旅の印象は後期だけでなく、白の時代にもあらわれているのではないか。古い人間の知恵でつくった、いろいろな文化形態に影響される前の、空間に対する本質というものを、ル・コルビュジエは東方への旅でつかんだのではないか。そして現代の住居、高層住居、高層住居がつくりだす都市というところまでイマジネーションを拡大していったのではないか」など、お二人の話は熱を帯び拡がっていきました。そして、コルビュジエの偉大さは、普遍的なものを再現すると同時に、新しい建築言語につくりあげ現代化したところにあるだろう、ということで時間となりました。